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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

志の輔落語「死神」より「人間の運の総量は決まっている」

日記

抹茶です。
じぶんの座右の銘というか、根っこの中にあるものが
「人間の運の総量はあらかじめ決まっている」

というフレーズ。
だからイタコや霊能力みたいな人為的な力で運を一箇所に集めると、その後の運が切れる。
だからふだんから運頼みにならず功徳を積んで必要なときに必要な運量を消化できるようにしなさい、みたいなのが自分の生きることへの姿勢です。つまんねーなー。

でもこのフレーズがいつどこで自分が頭に入れたのかサッパリわからなかったのですよ。
まあ使い古されてる金言だし、自己啓発本をモシュモシュ読んでた恥ずかしい時期もあったのできっとその中のどれかに紛れこんでたんでしょーねー、そーねーなんて思ってたんですけど。

志の輔らくごのごらく(1)「はんどたおる」「死神」


きのう立川志の輔の演目「死神」を何の気なしに聴いて、ぞわわわわわわっと。


ほんとに枕が終わったあとの冒頭、死神が姿を現したときの台詞に「人間が一生で使う運の量はあらかじめ決まっている」とビタコーンと入ってるからなんですよ。

落語はぜんぜん詳しくないんだけど、「死神」って演目だけは断片的に強烈に覚えてます。
なんでかなーって考えたら、子供のころいっしょに寝てたじいちゃんがずっとラジオを流しっぱにしてて、そこで聴いた春風亭小朝の「死神」がおっそろしく怖かったからなんです。


死神 (落語) - Wikipedia



落語は「笑い」を取るものが一般的ですが、この「死神」はバッドエンドで終わります。
ラストで男の寿命を表すロウソクが消えるときの死神の笑みを含むような「消えるよ…消えるよ…」がとても余韻を残す。この話を特徴つけるポイントのひとつと言ってもいいでしょうね。

子ども心は、悪事(というか死神とのルール)をやぶってしまった男が、死神の前でいのちを失う、その瞬間を思うとほんとうに怖かったです。
じぶんのいのちの火が目の前で消え入る絶望感というか、恐怖、それを死神という他人がほうら、ほうらと傍で見るという異景。
聴覚だけだからこそ、そのときの自分の想像力をMAXで働かせて見える世界というのもあるんだな。

そのラストが強烈すぎて他の細かいところが引っ込んでいたけど、三つ子の魂百までというか、子どもの頃のメディアって自分で思ってる以上に人格形成に食い込んでるな、と思った瞬間でした。


ちなみに小朝さんは忠実に「消えるよ…」とバッドエンドで終わってますが、志の輔さんはそこにさらにひとひねりくわえてクスっとさせて終わらせてる。こういうのが噺家さんの味とか妙っていうんでしょうねー。

死神

死神



ちなみに「芝浜」は桂三木助立川談志のを聴き比べしてみました。
感想は後日ゆっくり。談志師匠はすっっっごかった泣いた。



立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「芝浜」

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