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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

Its apple


【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
参加します。小説創作ははじめてです。
※婉曲的ですが性的表現が含まれます

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「あんた、その喉の歯型、かくしときなさいよね」

マリアンがブラジャーに詰め物をせわしなく押し込みながら、低い声で竜一をにらむ。
竜一は上半身をむき出しにしてジーンズに手をかけたまま鏡面に身体をむけ、喉もとを鏡に押し付けるようにして近づける。

(伊葉め)

竜一はしばしうっとりと、じぶんの喉仏をかこむ歯型と、そのまわりの赤い斑点をみつめる。節くれだった指でそこをなぞりながら、昼間の伊葉とのことを思い出す。しかし次の瞬間にはその跡の上からコンシーラーとファンデーションをはたきこむ。
股間のふくらみを目立たなくさせるサポートタイツを履き、紅い鱗のようなラメが散りばめられたスリップドレスをあばらの浮き出た肢体に貼り付ける。マリアンと違って胸にパッドはつめない。
「お楽しみじゃない」
「まあね」
マリアンと竜一は衣装室を出る。竜一は今夜も「イブ」としてラウンジに向かう。


竜一は新卒入社してSEとして6年間務めた会社を退職してのち、ここニューハーフクラブ「エデン」でイブとして働いてもうすぐ1年になる。
ニューハーフクラブといっても、この店が従業員に求める身体的セクシャリティのルールはゆるかった。性転換手術を受けた者から、マリアンのように下だけ手術を受けた者、手術なしでホルモン投与のみの者、そして竜一のように手術もホルモン投与もなしの者まで、幅広い。
それは首都圏からは少し離れた、しかし繁華街がまだそこまで廃れてもいないこのT市でニューハーフクラブを維持するためのオーナー与瀬の戦略であり方針だった。
しかし与瀬は、間口を広くしてなあなあの経営をするつもりはなかった。ショーダンスの完成度や接客態度など、従業員への教育については一般企業以上に厳しく、必然的に従業員たちもそれなりのプロ意識を持つ者達だけが残ってゆく。
竜一はそういった、やることをしっかりとこなしてさえいれば同僚にもオーナーにも必要以上に干渉されない「エデン」の空気感を居心地よく感じ始めていた。
干渉しないし、されない。お互いの本名も、住んでいる場所も、年下の恋人との跡のことも、メスを入れる必要があるのかどうかすらわからないこの身体のことも。


地方都市の、繁華街のはずれのニューハーフクラブといえど、金曜の夜のおかげか、そこそこ人は混んだ。
ラメのドレスを選んでよかった。ミラーボールにラメが乱反射して視線がいくばくか逸らされる。竜一はスリップドレスを脱ぎ、ウィッグをはずし、化粧を落としながら、きょうテーブルについたスーツのご新規たちのいつもの視線を思い出す。おそらくあれはどこかの教職者達。
それらは「イブ」の、なにもない胸元と、同様になにもない股間とに容赦なく注がれる。「この人は『どこまで』なんだろう」という、好奇と奇異の視線。
「くたびれたのは金曜だったから、くたびれたのは金曜だったから」
そう自分に言い聞かせて竜一は階段を降りる。ビルの脇にとめた自転車のチェーンを外す。針金のような体を折り曲げて自転車にまたがり、繁華街の夜に滑ってゆく。


伊葉は竜一よりも9つ下の大学2年で、同じくT市の繁華街で知り合った。ちょうど竜一が会社を辞めて、「エデン」の面接を受けた直後のころだった。
竜一と伊葉が出逢った場所はそのような店ではなかったが、気づけばその夜には伊葉は竜一の部屋に上がりこんでいた。

伊葉が竜一に合鍵をねだったころ、携帯にエデンの与瀬から「きみ、来週金曜から出られる?」と連絡があった。
竜一は源氏名を「イブ」に決めた。


「こないだ、噛み跡つけたでしょ」
店がない休日の夕方。竜一がベッドに仰向けになったまま、首をさすって言う。
「あれ、店に行ってから気づいたの?俺わかってると思ってた」
伊葉は竜一の横でめくっていた雑誌から顔をあげ、こたえた。
「こまるよ、見つかったら減給されちゃうから。与瀬さんそういうのすごく厳しいって言ったじゃん」
「わあかった、ごめんね。でも竜一さんの喉仏好きでさ。つい歯、立てたくなるんだ」
伊葉は悪びれもなくベッドの上で竜一におおいかぶさる。重なると体格差がさらに目立つ。伊葉のほうが竜一よりも5,6cmほど低く、胸板も腕も足も健全な一般男子として魅力的な厚みがある。そのことが竜一をよりいっそう針金のように折り曲げさせる。とうぜん伊葉は気づかない。

「目につくんだ、竜一さんの喉仏。ほそい首に映えて、すごく存在感あってかっこいい。知ってる?英語だと喉仏って『アダムズアップル』って言うんだって。知恵の実のりんごを食べたアダムが、喉にひっかけたらできちゃったからなんだってさ」
そういって伊葉はもう一度竜一の喉元に歯を立てる。
「俺竜一さんより背も低いし、喉仏もそんな出てないからさ。羨ましいなって」

ーーじゃあいっそ、あげるよ。噛みちぎってくれればいいじゃない。

竜一は喉元まで暴力的にこみあげた言葉をごくりと飲みこんだ。
アダムになんてなりたくない。でも「イブ」のままでもいたくない。りんごなんて食べてない。
竜一は伊葉に覆われたまま、木偶のように天井を仰ぎ見る。9歳年下のこの同性の恋人は、いったい自分のなにを知っているのだろう。
竜一の目から涙が流れた。伊葉に気づかれることなくそれは音をたてずに枕へ着地した。
それでも竜一は伊葉の身体に、蔦のように腕をからめ目をつぶらずにはいられなかった。
伊葉がアダムでもイブでもなく、いつか「竜一」として自分を抱いてくれるという夢にでもしがみつかなければ、この喉に詰まったものがいつか自分の呼吸すら停めてしまうだろうことに、彼は気づいてしまっていた。

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