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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

【創作】天使の領分【ハロウィン・ホラー】



【第1回】短編小説の集い 投稿作品一覧 - 短編小説の集い「のべらっくす」


今回も参加します。自分が怖いと思うものを書きました。
よろしければおつきあいください。

【タイトル】天使の領分
【テーマ】A:ハロウィン・ホラー
【文字数】4,907字

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ひた。ひたひたひたひた。
お菓子くれなきゃ、いたずらするぞお。
いたずらするから、お菓子ちょうだあい……


「瑛子せーんぱいっ」
そう呼ばれて引き継ぎ日誌から顔を上げた瞬間、視界いっぱいに広がる橙色に熊田瑛子は心臓がとまりそうになった。
「どうです?似合います?」
ジャック・オー・ランタンのお面をかぶった美坂ゆりえが瑛子の前でくるりとひるがえる。
「似合うもなにも、ナース服とそのお面じゃ誰がだれだかわかんないわよ」
瑛子は心臓の動悸を悟られないように平静を装い、ゆりえの顔についたお面を剥ぐ。
ーーそういえば、今週いっぱいだったっけ。
瑛子の勤務する脳外科病棟で31日までの2週間、ハロウィンの格好で巡視するという企画が採用された。
小児科病棟じゃないんだから、と最初は二の足を踏んでいた瑛子も、オレンジや紫の衣装が日に日に病棟にも患者たちの会話にも彩りを添えているのを見て、悪くないのかも、と思えてきたところだった。
「患者さんにはその距離で近づかないようにね。心臓とまっちゃうわ」
「当たり前じゃないですかあ、瑛子先輩にだけですよお」
朝のナースステーションの和やかな空気のなか、突然のビープ音がそこにいる看護師たち全員の動きを止める。四七六のランプが点滅する。
「また吉田さんだわ。あたし行ってきます」
言うが早いか、ゆりえがナースステーションをたっと駆け出る。
「ゆりえ、あんたもうすぐ上がりでしょ。私も行くわ」あとを瑛子が追いかける。

吉田さん、入りますよ、と声をかけると同時に病室に入った瑛子が、足元のピチャ、という音で歩みを止める。
がらんとした部屋にたったひとつだけのベッド。その上で吉田武夫が食べかけの食事トレイを載せたままうなだれている。布団の上から瑛子の立つ入り口にかけて、こぼれた味噌汁が伸びている。
「すみません……」
背を丸くして謝る老人を見ながら、瑛子はこれが三度めであることを思い出す。吉田の左手がこまかく震えている。
「吉田さん、謝ることじゃないですよ。お布団は今替えを用意してもらいますから、残りがんばって食べちゃいましょう」
瑛子がほとんど手をつけていない吉田のトレイの上をペーパーで拭こうとすると、吉田はうなだれた薄い頭をさらに下げ、懇願した。
「もう、食べません……食事ももう持ってこなくて結構です。どうかこのまま、早くばあさんのところに行かせてやってください、どうか」
瑛子は一瞬トレイを拭いていた手をとめたが、それを吉田に悟られないようにさっきよりも動作を大きくして拭ききる。
「そうやってしゃべる元気があるなら、まだまだ大丈夫ですよ。ちょうどシーツ交換だから良かったですね」
では、と瑛子が大股で吉田の部屋を出ると、駆け足でゆりえが瑛子のあとをついてくる。
「吉田さん、もっと声かけてあげなくて良かったんでしょうか。あれ多分……」
ゆりえが瑛子の顔を心配そうに見上げる。
「いいのよ。うっかりじゃないことぐらい皆わかってるわ。それからゆりえ、あんたにも言っておくことがある」
瑛子が歩みをとめ、ゆりえへ向きなおる。
「ゆりえ、あんたはよくやってると思うわ。ちょっとした変化にもすぐ気付くし、いつも患者さんのことを第一に考えて行動できてる。でもね」
きつく聴こえないようにと、瑛子はできるかぎり慎重に言葉を選んでいう。
「患者さんの心により添い過ぎても上手くいかないこともあるわ」
途端にゆりえの眉は、きゅきゅきゅ、と八の字に下がった。
「そうですよね……頭ではわかっているんです。あたし、患者さんのこと大好きなんです。患者さんに一番元気になってもらうにはって、いつも考えすぎちゃって」
瑛子はふっと笑ってゆりえの頭にぽんと手をおく。
「まあ、今月二人も急変が出てるし、過敏にもなるわよね。あとはやっとくから、もう上がってゆっくり休みなさい」
二人はふたたびナースステーションへと足を向ける。いつかの私も、こんな風に先輩にたしなめられたっけ。瑛子はそう思い出す。


「吉田さんて、まだ食事摂りたがらない感じ?」
椎名正人がとんかつにソースをかけながらたずねる。
「そうね。せめて家族が近くにいてくれれば違うのかもしれないけど」
向かいに座る瑛子が、椎名のソースを持つ手を掴みながらこたえる。椎名くん、かけすぎ、と目で訴える。疲れると病院の食堂って、味、遠いよね、とごまかし笑いを浮かべながら、椎名はとんかつの一片にかじりつく。
「俺もリハビリ担当してるけど、もういいんです、動きたくないんです、の一点張りだもんなあ」
吉田武夫のように治療に消極的な患者は、瑛子の勤める病棟では珍しいことではない。配偶者と死別し、息子家族も遠く千葉に住居をかまえている。
「患者さんのことが大好きなんです……か」
瑛子は定食の塩鯖に箸を入れながら、今朝のゆりえの言葉をつぶやく。それから椎名に顔を上げる。
「ねえ椎名くん、私たちの領分てどこまでか、たまに分からなくなってこない?」
「どしたの急に」
「きょうゆりえが言ってたのよ。私だって、患者さんに元気になってほしい。でも長く勤めれば勤めるほど、患者さんにとっての一番の幸せってなんだろうって。たまに見失うとき、ない?」
うーん、と椎名が腕を組む。
「まあそりゃ、回復してほしいってこっちが一生懸命頑張ってるのに『死にたい』なんて言われると、くるものがあるよね、でもさ」
椎名が瑛子にあらためて向きなおり、言葉を続ける。
「それもひっくるめて受けとめるってのが俺らの領分なんじゃないかな。俺だって瑛子さんだって、もうだめだ、死にたいって日があるじゃん。でも明日あさって、一年後には、ああ、生きててよかったなって思う日だってくるでしょ、生きてさえいれば。そういう患者さんのちょっと先の幸せを考えて、動けるようにはなったかな」
ーーああ。そうなんだ。私、椎名のこういうところが好きなんだ。
椎名の力強い言葉にとまどいつつも、瑛子は感謝した。彼が自分のそばに居てくれることに、自分の奥底にある不安や希望を、いつもまっすぐな言葉でかたちにしてくれることに。
「……なんだか知らないうちに、ずいぶん大人になったじゃない」
「どう、惚れなおした?」
それでも素直に言葉に表せない瑛子を見透かすかのように、椎名はまっすぐに笑った。そしてすぐに、思い出したように俯き赤くなった。
「惚れなおしてくれたところでさ。来月の頭、休み合わせて買い物いかない?……そろそろ、指輪とか、合わせたいなって」
「あ、そうね、……うん」
瑛子もつられて赤くなり、もうなくなりかけの塩鯖を再びつついた。


「瑛子先輩、なんだかご機嫌。イイコトでもあったんですか?」
病棟の廊下でシーツ点検をしていた瑛子に、ゆりえがくるりとひるがえりながら瑛子に近づいてくる。
「まあ、ね。あんたのほうの仕事は終わったの?また絵布田にちくちく言われるわよ」
勘のいい子、と驚きながらも作業の手をゆるめずに瑛子はこたえた。ゆりえの眉が八の字に下がる。
「絵布田くん、しつこいんですよお。あたしのこと嫌いでつっかかってくるのかと思ってたら、こないだ食事に誘われちゃって、それ以来ずっと」
「へえ!あいつ、あんたに気があったの。わからないものね」
意外な後輩達の恋愛ベクトルに、瑛子も珍しく笑い声をあげる。「あ、そうそうそれと」ゆりえは笑顔を浮かべたまま続ける。
「四七六号室の吉田さん、あの後あたし一人で聞きにいってみたんです。そしたらやっぱり亡くなりたいそうなんで、だからあたし、処置しておきますね」
ーーえっ?
瑛子が作業の手をとめる。
あんた、何言って、と顔を上げると、ゆりえが廊下の向こうを見て、べえ、と舌を出していた。視線の先には絵布田がこちらへ向かっていた。
「噂をすれば。逃げまあす」
瑛子が絵布田へ振り返り、もう一度首ゆりえへ向き直したときには、もうその姿は消えていた。
さっきの、聞きまちがいよね。言葉足らずだったのよね。処置? 瑛子の心臓はまだ嫌な音を立てている。
「熊田先輩、どうしたんですか? 紙みたいな顔色してますけど」
近づいてきた絵布田太一が、瑛子以上に青白い顔をしかめていう。瑛子は大丈夫、と深呼吸しながら、絵布田へ向きあった。
瑛子はひとつ前の、「絵布田にしつこく誘われている」というゆりえの言葉を思い出した。そして自意識の高い絵布田を傷つけないよう、遠回しに、しかし釘を指しているとわからせるつもりでいった。
「あまりしつこすぎるお誘いも、困らせるみたいよ」
すると絵布田は神経質そうなほそい眉を奇妙に歪め、瑛子をまじまじと見返した。
「……いったい何の話をしてるんです?」


ひた。
ひた。
ひたひたひたひたひたひた。

消灯後の、冷たい病棟の廊下に、生の肌の触れる音が響く。
ひたひたひたひた、とその裸足の歩みは規則正しく進んだあと、四七六の病室の前でピタリと止んだ。音を立てずにドアが開く。遮光カーテンの隙間から時折こぼれ入る外の灯りで、ベッドの枕元へと進む人影が照らされる。
人影はベッドの柵へ手をかけゆっくりと身を乗り出して、そこに寝息を立てている吉田の顔の鼻先まで顔を近づける。
「お菓子くれなきゃいたずらするぞお……。いたずらするから、おかしちょうだあい……」
くぐもったかすれ声で歌ったあと、影はポケットから脱脂綿を取り出した。そして吉田の左腕の内肘をすっ、すっと拭くと、ポケットから注射器を取り出し、吉田のしわ枯れた腕の血管にあてがった。
「手を離しなさい、ゆりえ」
瑛子は入り口から影の背中に声をかけた。影がゆっくりと振り向く。
「どうしてですか」
影は瑛子の正面に向きなおった。左手にもった注射器を掲げ、ぴ、と液体を出した。暗闇に慣れてきた瑛子の目がとらえたのは、ジャック・オー・ランタンのお面を顔につけて立つナース服の姿だった。瑛子は低い声で影から目を離さずにいう。
「ゆりえ、わからないの」注射器をこっちに渡しなさい、と瑛子は手を差し伸べた。
影がひたり、と一歩踏み進む。瑛子は身構えた。
「わからないのは瑛子先輩のほうじゃないですか」くぐもった声はこたえた。
「言ったじゃないですか。あたしは患者さんのことが好きなんです。患者さんがあたしにありがとう、って笑ってくれる顔が大好きなの。だから患者さんの望みを最大限にかなえてあげたい。吉田さんだってそう。このまま生きていてもつらい、って何度も何度もいってたじゃないですか。そんな姿を見るのは先輩だってつらいでしょう? 何が患者さんの一番の幸せなんだろうって、先輩だって悩んでたじゃないですか」影はふたたびひたり、と瑛子へ足を進めた。
「だからあたしは患者さんを望み通り楽にしてあげる。患者さんは天国であたしに感謝してくれる。みんな幸せじゃないですか、どうしていけないんですか」
「それは私たちの領分じゃないのよ、ゆりえ! 」
瑛子は影の肩に掴みかかり、右手で彼女のもつ注射器を奪った。続いて左手で顔の面を剥いだ瞬間、瑛子はひっと悲鳴をあげて床に腰を落とした。
薄闇にうかびあがったその顔は、瑛子自身のものだった。
その笑い顔がぐにょりと顔が歪んでゆりえの顔になり、唇だけが「きづいてたくせに」と動くと、ふたたび瑛子の顔になった。
「あんた、あんたは誰なの」瑛子が震える声で向かいあう自分と同じ顔に叫ぶと、もうひとりの瑛子はいった。
「いいえ、先輩。わかってるでしょう。あたしはあなたです、あたしたちは」
そういった口があんぐりと開くと、喉の奥から黒い粒がおろおろと溢れてきて瑛子を飲み込もうとした。よく見るとその無数の黒い粒は小さな人間の形をしていた。
「やめて! 」
息ができない、飲まれる、と瑛子は両目を閉じた。
次に目を開けたときには、もう一人の自分は消えていた。
「夢……? 」じゃない。瑛子は握りしめた右手をゆっくりとほどいた。そこには注射器があった。床に投げ出された自分の足先に目をやった。
裸足だった。
私。ああ。私は。
カーテンの隙間からみえる、どこまでも暗い夜に目をやったまま瑛子は思った。電話をかけなきゃ。椎名くんにいわなくちゃ。買い物はとりやめようって。
その代わり、連れて行ってほしいところがあるって。












  了

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