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ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

「大人」になれたのはいつですか−雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”から

人よりマイルドモンキーが多い山奥に暮らしています、卯野です。


読んだ。
雨宮女史が、質問者さんのこんがらがった糸を優しく少しずつほどいていくようにして回答しているのがとても良かった。ほかの著書もまんまと読みたくなっちゃった。
雨宮女史もそうだけど人の相談にのる人って根気強いよなあ。
私だったら「そんなもの大事にとってても変わんないからとっとと彼氏さんにおあげなさい」とぶった斬ってしまいますね。
質問者さんだって、いま彼氏さんという他者がいて、その関わりあいの中でも自分が変わりたいと思わないのであれば、セッセセしたって何回したって、変わらないんじゃないかなあ。


まあ言いたいのはそこじゃなく。
ふりかえって、自分が「大人になった」と思ったのっていつなんだろう、というお話。

私はこの質問者と反対で、早くから大人になりたくて今の自分から変わりたくてしょうがなかったくち。
というのも、私の親がしばしば「お前はまだ子供だから」「お金がないから」という理由で私の進路はじめ生き方をコントロールしてきたから。「では大人になって自立して自分で稼げるようになれば口出しはしないんだな!」といって私は盗んだバイクで走りだしたわけなんだけれども。バイクは乗れません。

だからといって、性交渉をしたって、家出したって、眉毛を剃り落としたって自分で稼ぐようになったって夜の町をチャリンコ暴走族したって、「大人になった」わけではないことは自分でもわかってた。剃り落としてません。

じゃあいつ「大人になった」って感じたかというと、母親が倒れたとき。

新卒で入った会社で、希望勤務地に他県を記載してOKが出て、念願叶って親から遠く離れて自活することができるようになった。その2年後、母親が倒れて入院した。それまでも何度か倒れる人だったんだけど、今回は心労と電解質異常が重なったらしく、泡を吹いて救急車で運ばれたらしい。

高速バスで急いで帰って、病院のベッドの上でたくさんの管に繋がれてまだ意識朦朧としている彼女を見た。ああ、私はこの人を失ってしまうかもしれなかったんだな、母親を捨てようとしていたんだな。そう思ったら泣けてきた。


その後、私は勤務先に異動届を出して実家のある県へ戻った。
もしかしたら共依存という名前がつく関係だったのかもしれないな、とも思う。
それでも、あんなに離れようとした親のもとに帰ると自分の意思で決めたとき、私は初めて「やっと大人になれた」気がしたな。

何かを選び取り、不要なものを捨てていき、何かを奪われ、何かを獲得しながら純度を増してゆくのが、私の思う大人です。

...

そうありたい自分と、実際にこうである自分とのギャップを解消できたとき、生きていくことはほんの少し、楽になるのではないかと思います。

「大人になる=処女喪失が怖い」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第13回 | 恋愛・占いのココロニプロロより)

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