nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

分人とダンス

卯野どえす。さいきんの自分の振り返りをつらつらと。

http://www.flickr.com/photos/81787495@N00/47802555
photo by Toni Blay


/以前自分のこういう困った状態を書いたんだけど(
ビリー・ミリガンと23人のアカウント人格 - nerumae
)、最近はかなり落ち着いてる。おそらく @macchaunoという精神的避難/ゆるいお遊び用アカウントをつくったのと、短編小説という創作方法に初挑戦してみたことがとてもよく影響してるんだと思う。


/それまでも短歌が好きで誰に見せるわけでもなく、せこせこと作ったり辞めたりをしてた。今年に入って短編小説というもうちょっとブレスの長い物語をつくってみることで見えてきたのは、「あ、私には分人を遊ばせる舞台が必要だったんだ」ということ。


/短編小説を完成させてみて得られたのは短歌以上の「超絶スッキリ」感「癒やし」だった。
もちろん素人なので稚拙だし、暗めの話が多いので他者が読んだらおもんないだろうなーとは思うんだけど、できたものは間違いなく「私のための物語」で、リアルで使い分けてる分人たちだけじゃなく、その舞台で踊る人物全員も疑いなくわたしの「分人」なのだ。というのを書いて実感した。
恥ずかしい話ですけど自分で書いたものを何度も舐めるように読んでるからね私。時間経つとほんとに恥ずかしくなって消すけど。


/で、そういう物語をどうにかこうにか書き終えることができたときは、その内容の救いがあるなしにかかわらず、マラソンを完走できたような圧倒的な爽快感だった。なんでか暗い話のときほどそのスッキリ感は強くて、憑き物を落としたようにリアルでは明るく前向きに「頑張ろう\(^o^)/!」と思えた。スッキリしすぎて逆にこわい。


/そうふりかえれば、自覚はなかったけど、短歌を詠む作業も同様に、私にとって分人の眼を借りて自分のための物語を編むことだったんだろう。文字数制限があるから癒やしと爽快感が遠かったんだと思う。文字数と解像度は比例する。



/今年のなかごろに知った言葉で、「ナラティブ・セラピー」という言葉がある。
ざっとぐぐった感じだけど、こんな意味の心理療法みたい。

「ナラティブ」とは「語り」という意味です。
クライエントの語るこれまでの人生の物語を、クライエント自身が再構築して新たな物語にすることで、問題の解決を目指していく治療法です。
ナラティブセラピー | 心理学用語集サイコタム


主にPTSDをおった人やアダルト・サヴァイヴァー(以前までアダルト・チルドレンと呼ばれてたもので、自己の問題解決に積極的に向きあおうとする意味合いが強いそうです)へ用いられる治療法らしいんだけど、この療法のくだりを読んでストンと腑に落ちた。おそらくストンと来る人は私のほかにもいると思う。



/物語を語る人の多くが、皆過去のトラウマや問題解決の療法としてやってるわけではないと思う。「物語を創るのが大好き!アイデアがあふれてとまらない!」みたいなエンターテイナーな人のほうが多いだろう。そうなのか?
私に限っては、私のなかに蓄積する事象のアウトプットに加えて、過去に受けた問題で今まで見ない・定義づけないようにしてきたこと、私の中の分人たちが代わりに引き受けてきた痛み(そんな大層な過去はありませんけどね)なんかを、やっと今「物語」という形式を借りて振り返り、受け入れることができてきたのかもしれないと思ってる。
必要だったのは分人の殲滅でも統合でもなく、認知と併存だったんだなと。


/なので、短歌やほかの趣味と同様、物語を語ることは、稚拙でも、この先ずっと続けていくんじゃないかなあ。と、今んとこは思ってる。
願わくば自分の書きたい内容で、且つ読んでくれた方も共有できるなにかも盛り込められれば、言うことナシなんですけど。あまり欲張ってもいけないね。


/そういうわけで、多少強引ですが、2014年にお別れできそうなのは「分人の棺」。
彼らを葬らない代わりに「物語」という小さな小部屋で、これからもときおり引っ張りだしては仲良く遊ぶことにしました。



今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉


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