nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

どちらがより確率が高いかの話

卯野です。
下記bloodingsomeさんの記事を拝読しまして、御仁が特に他者の意見とかよりよい焼きそばパンを求めてるわけではない、ひとり沼に向けて嘆息してる感じとはわかってるんですが、経験上思ったことを書いときます。
つーかもう私もただの嘆息です。
あとで消すかも。

http://goo.gl/21Gpv2



「病院行け」ってのはたしかに「普通の人」から「メンヘラ者」への断絶の意思表示ともとれる使い方をされていて実際このロゴスとレトリックの天下一武道会ではバッサリ斬れる青龍刀として認知定着してるみたいなんですが、じゃあバッサリやらず普通の人がメンヘラにより添った場合に、そのより添いが健全に受け入れられたり状況が快癒したりするのかなあ、やっぱりそうじゃない確率のほうが高いんじゃないかなあ、と思う。
私そういう人を引き寄せやすいのか私自身にそういうところがあるのかはわからないんだけど、交際した人のうち1人が依存体質、2人が双極性障害で、うちブログやツイートにも何回か出してる横浜の人の時はお互い引きずりあいズブズブボロボロになって大変苦しかったのを今でも覚えてる。よくメンタル系の病気は接し方気をつけないとミイラとりがミイラになるよ、とか言われるけど本当にそうで、私もしばらく寝込んだ。相手の病状が感染したのもあったけどそれに増幅された強烈な無力感のほうが記憶に残ってる。「助けてあげたい、でも何もできない」って頭かかえて布団にもぐって泣いてた。
そういう経験があって私は、「うわっめんどくせえハイこの線から来るなよな」的意味での「病院行けよ」とは思わないんだけど、でもやっぱり「ちゃんと病院行け!」と声かけてしまうであろうくらいにはごく健全な普通の人で、痛みと恐ろしさが残ってるんだと思う。真に医師の診断が必要な精神疾患、それよりゆるい(?)ボーダーの人でも虚言癖でも、自傷・自殺未遂、OD等自他を攻撃する症状が出てる以上、そして本人が「現状を改善したい」と前向きになってない以上、素人があれやこれや手や口をだすよりも医師に連れてって診断を仰いだほうが最短ルートだとは思う。今当たり前の話してますか。してますね。
他の人と向き合う、よりそう、言葉をかける、は当人が前を向いてからの話で、どちらかがそっぽを向いててもコミュニケーションは成立しないし、どちらかもしくは両方がずだぼろに傷つくのだと思います。今当たり前の話してますか。してますね。難しい。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...