nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

ボケるのがしぬほど怖いという話とwrite forward

ボケるのがこわい、とにかくこわい。卯野です。

今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」ですが、私の場合はなんのこたあない、ブログも短歌もボケ防止です。

http://www.flickr.com/photos/51096110@N00/116056855
photo by dok1



ボケが怖いというのは以前も何度か書いたことあるんですが、何度もいうよ、残さずいうよ、とにかく怖い。

私の父方の家系はいわゆる長寿かつボケ体質らしく、曾祖父母からはじまり今まで父方・母方あわせて亡くなった6人のうち5人が結構ヘビーにボケていくのを8歳から目の当たりにしていました。

中島義道が哲学にとらわれたきっかけはとにかく強迫的に「死がこわい」からだったそうですが、私は死の前に「記憶の喪失」、祖父母たちのように「自分もいつか自分の連続性が失われる」「自我をコントロールできなくなる」という恐怖心がつねに心の底にあります。「自我のみが先に死んでいく」っていうのもなかなか怖いもんですよ、見てて。


短歌を趣味として選んだのは、なんとなく詠みはじめたのは17の頃からなんですが、その時インターネットなんて北夷の農家の我が家には「なにそれ美味しいの?」だったし、とりあえず道具がなくても(将来デバイスについていけなくなっても)死ぬまでできそうな趣味だと思ったから。あるものを手にとった感じです。
同時に編み物も始めましたが「手先を動かしとけばボケにくい」という迷信からです。あとブログもログ以上にタイピングがボケ防止要素が高そうで好きってのがあります。すべてはボケぬためである。


だからインターネッツの世界にどっぷり浸かるようになってブログを始めたのちにEVERNOTEという外部記憶装置の存在を知ってからは「フィル抱いて!」と悶えましたよね*1

Evernote

Evernote


仕事ログやウェブで公開できない日記なんかはEVERNOTEにストックしているし、ウェブに公開したものでも気に入ったものはEVERNOTEに入れてるんですけど、じゃあなぜエバノがあるのにわざわざいったんブログで公開ログ残すのかって話ですよね。ボケ防止なら自分一人でシコシコエバノに書いてれと。

それは多分まれにこういう嬉しい伝播があるからなんだと思います。

nerumae.hateblo.jp


自分の書いたものが少しでも読んでくれたほかの誰かに伝わって「おもしろそう」って思ってもらって、ブラウザのむこうの現実を少し動かしているのだとしたら。

ひとりだけで書いてるのでは感じ得ない、「私の意識がたしかにそこに存在している、作用している」ことの証になるのではないかなと思います。触媒のようにトンネルみたいにAをBへとをつなぎたい、良い物語とあなたを、短歌とあなたをつなぎたい。そのAとBがつながった瞬間、私が自分の輪郭をはっきり実感でき、ずっと根底にあるボケへの恐怖が少しやわらいで、「こ、これから先もがんばって生きていくぞう…!」と思えます。なげえよ。

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