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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

欠損【短編小説の集いのべらっくす参加作】

novelcluster.hatenablog.jp

お久しぶりに参加します。
テーマは「祭り」です。よろしくお願いします。


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「欠損」(2276字)

http://www.flickr.com/photos/34769575@N04/3545182005
photo by the_mishka


 男の指を買ったことがある。

 あれはたしか、ぼくが十の頃。いつもは忙しい父が夏の気まぐれに、数年ぶりに母の実家のある山陰へと連れ立ってくれたときの夜のことだった。
当時住んでいた神戸とは違い、母の実家はこじんまりとした田舎の集落にあった。その日はちょうど地区にある神社の宵宮で、鳥居をくぐり抜けると、提灯の明かりに照らされて色とりどりの屋台が並んでいた。かき氷、フランクフルト、焼き鳥、射的、型取り、金魚すくい
地元の子どもたちは手に思い思いの戦利品をぶらさげて、走り回っていた。彼らはときおり遠巻きにぼくの方をみてはなにかを話していた。ぼくはその輪の中に入るには、すこしばかり背が高くなりすぎていた。
出店の列の一番端、少し離れたところにその男はいた。夜光塗料のブレスレットや光るうちわの展示板の横に座り、気怠げにたばこを吹かしていた。

ぼくは暗闇のなか光るブレスレットやうちわよりも、その男の指から目が離せなかった。たばこを吸う男の右手小指は、第一関節から先が夜に溶けていた。

「なんだ、坊っちゃん。指がねえのがそんなに珍しいか。こっちの見物料は高えぞ」

ぼくのぶしつけな視線に気づいた男は、あざわらうように低い声を投げつけた。ぼくは男の顔へと目をやった。男はかすかに白いもののまじる髪を短く刈り上げて、くたびれた白いTシャツにジーパン、サンダルを身につけて、椅子に深く身体をあずけていた。夜光塗料の寒色の光から、頬骨だけがやけに浮かび上がっていた。目だけは爛々とこちらを見据えているのがわかった。坊っちゃん、とは呼びかけられたものの、その目に子どもや客に対するおもねりのようなものはひとつもなかった。
 
 「お前の顔は見たことがあるな。京子んとこのガキか。あいつもここに居た頃はよく俺らとつるんでたのに、医者といっしょになるとはうまくやったもんだ」

男は母の名を呼んだ。口調はさっきのままだったが、その声は先ほどより険がやわらいだように聴こえた。男は目をほそめて、ぼくの向こう、なにか遠くをみていた。

「いくらですか」

「は?」

「見物料は、いくらですか」
 
男の指を見たままぼくが手に持っていた小銭いれを握りしめると、男は、くっ、と喉の奥で笑った。 

「お金ならあります、か。それとも後学のためかよ。いいぜ、見してやる。来いよ」

男はそういうと椅子からからだを起こし、ポケットに両手をつっこんで、神社境内奥の林へと向かった。ぼくはその後をついていった。


 神社の裏側の木柱まで歩くと、男は下の砂利土にどっかりと腰をおろした。囃子と喧騒が遠くのほうで聴こえる。提灯の明かりも届かないいっそうの暗がりだった。ぼくは男に向かいあうようにしてしゃがんだ。男はポケットから握りこぶしを出して、右手をゆっくりと開き、ぼくの前に差し出した。ぼくはその掌を、両手でそっと受けとった。

男の掌はひどく痩せて、荒れていた。ぼくは男の、欠けた小指の先を見た。ほかの指のふしくれだった荒々しさにくらべて、小指の先端は肉が盛り上がり、ひきつった皮の周辺の皺が消え、赤ん坊のようにつるりと丸みを帯びていた。指に覆いかぶさるようにしてまじまじと観察するぼくの頭を、男が上から見下ろしているのが感じられた。鈴虫が鳴いていた。
ぼくはゆっくりと男の小指のひきつった部分に唇を押しあてた。男の掌はぴくり、と動いたが、ぼくの手から逃げ出すことはなかった。子どもたちの笑い声がときおり聴こえた。さわさわと木だちの葉ずれの音が聴こえた。

 どのくらいそうしていただろうか。ぼくは唇を注意深く這わせ、男の小指の先端を口の中に含もうとした。その途端、男はぼくの髪の毛をぐいとつかんで、指から引き剥がした。

「ここまでだ。お前の財布ん中に入ってる程度の金じゃな。帰んな」

男は右手をぼくの手から取り返すとぼくのズボンのポケットに乱暴につっこみ、小銭いれを奪った。

「ごめんなさい、もう少しだけ。お金ならいま、母さんからもらって」

「あさましいガキだな。俺と同じ指にするどころか、手首ごと切り落とすのだって訳ねえんだぞ」

男はそういって、つかんでいたぼくの頭を力まかせに投げ捨てた。ぼくはそのまま地面に転がった。彼は立ち上がるとズボンの尻を二、三回ほろって、ポケットからたばこのパッケージを取り出し、その中から一本取り出して口にくわえた。ライターを口元に近づけて火を点けると、ふたたび暗闇のなかに男の頬骨が浮かび上がった。
男は、深く息を吸い込み、そして、はああ、と煙を吐いた。

「もう帰んな。帰れなくなるぞ」

男はもうぼくと目を合わせることはしなかった。ぼくは男を見据えながら砂利から立ち上がり、二、三歩後ずさりして、そこから明かりのほうへと駆けもどった。男は闇に紛れてもう見えなくなった。


 その翌年、ぼくはひとりでふたたび母の実家を訪れ、宵宮に行ったが、もうあの男の姿はなかった。祖父母や母に聞けば男についてなにか知ることができたのだろうけど、それもしなかった。

 そのうちにぼくは中学生になった。ときおりあの夜のことを思い出して自慰をすることがあった。そのあいだに部活や、受験や、高校や、彼女や、大学や、インターンや、もろもろのことがあって記憶もだいぶ薄れてしまった。

 ぼくはなぜ今、あの宵宮の夜のことを思い出すのだろう。
ぼくは結婚式場の控室にいる。新婦を待っている。もうすぐたくさんの友人知人の前で愛を誓う。あと数年したら父の病院を継ぐことになるだろう。
ぼくはあの夜、あの男の小指を買った。男の小指の欠損を買った。夜に溶けた小指の先のありかは、ぼくとあの男しか知らない。

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