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まさりんさんの短編小説の集い作品感想

第18回短編小説の集い、わたくし〆切に間に合わなかったのですが、ご丁寧にもまさりんさんから感想をいただきましたので御礼とお返事の感想です。
率直なご意見ありがとうございました。ほんとに嬉しかったです。
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novelcluster.hatenablog.jp



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亡き祖父が残した古いアパートの一室での、中学生の少女とオウムとのやりとりを丁寧に描写した一編。
サキとカナのシリーズものの一つなのですね。もちろんシリーズ前作を未読でも楽しめるように描かれていました。
以下、良かったところ、好きだった表現、もし自分なだったらなどをざくっと書きます。

良かったところ

・情景描写の鬼

「情景と登場人物の描写に重点を置いている」というまさりんさんの公言通り、相変わらず情景の解像度が4Kハイビジョンレベルで高かったです。
おじいちゃんの住んでいたアパートの間取りや周囲の地形など、何か実際に取材して描かれたのですか?
状況描写の解像度の高さはどれだけその作品の世界観に入れるかにも関わってくるということを改めて思い知りました。

・サキの心理描写が丁寧

まさりんさんご自身のあとがきから、前作となる「月光」も拝読したところ、サキとカナは私立中高一貫校の中学生、特進クラスに通っているという設定なんですね。

第十七回「短編小説の集い」出品作品「月光」です。 - 池波正太郎をめざして

中学生にしては親に対してものわかりがいい、でも思考と感情がまだアンバランス、というけっこう難しいであろう揺れを丁寧に表現されていました。

・タロウは見ていた

オウムのタロウ、その言動が物語のキーとして上手に使われていいました。タロウを描写することで、おじいちゃんの本当の死因や、家族との関係が少しずつ読者に表される。
こういうちょっとずつ物語の全貌が見えていくという手法、大好きです。


好きだった表現

リモコンの赤い電源ボタンを消して、ソファに放り出す。ソファの上で正座になって両手を雑巾がけのように絨毯を滑らせる。くすぐったくって気持ちよい柔らかさが両手の平を包む。さらに滑って腹ばいになる。そのまま隣の和室までコロコロ転がった。今絶対に誰も来ないで、と願った。敷居を越えるとき、痛気持ちいい。

部屋にひとりでいるとついやりたくなる無意味な行動ってありますよね。その優越感、背徳感、子どもっぽさ、孤独感。
こういうのって書き手側に回るとつい忘れてしまう。こういう些細なこと、でも絶対に現実にあることをすくい取れるのがまさりんさんの洞察力の凄さだと思いました。
大人と子どもの過渡期にあるサキのあやうさ、子どもっぽさを魅力的に表す絶妙のフレーズでした。

もし自分が書くなら

 なおなお(id:naonao3939)さんがおじいちゃんの死因について「他殺を連想してしまう」という旨の感想を書かれたそうで、実は私も一度目読んだときにそう思ってしまいました。
二読目以降でおじいちゃんはガンを苦に縊死したのだとわかったんですが、それを理解するには物語に点在するオウム・タロウの言動とここのシーンを結びつける作業が必要ですね。

小学校を卒業し、今年になって、おじいちゃんがどうやって死んだのかを知った。ガンで死んだのだ、と聞いていたけれど、正確にはガンを苦にして死んだのだということだ。パパは「ずいぶん身勝手な話だよな。かわいがったサキまで置いて行かなくてもさ」と言って、私の頭にポンと手を置いた。

 「おじいちゃんは死にたくなるくらいつらかったんだよ。しかたないじゃん。それにタロウを残してくれたし」

 この言葉を聞いて、二人は安心したみたい。夜独り、ベッドで泣いた。

(このベッドで泣いた、ってところも好きです)


全貌の明言を避け間接描写で示唆する、というのは、読者に大きな好奇心と余韻と中毒性をもたらしますが、エニグマについてどこまで書くか、書かないか、この加減て難しいですよね。書きすぎるとくどくなるだろうし・・・。
この短編作品でのフックを「タロウの言動」に据えるとするなら、おじいちゃんの亡くなりかたの描写について、読者側に寄ってもう1、2行文字数を割いてもいいのかな、と私は感じました。

不遜な物言いで申し訳ないです、一読者としてのわがままでした。


ではでは、次回作も楽しみにしております。

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