nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

浜辺の町から


あれから3年、浜辺の町に住んでいて変わっていくものを目にした。

海岸線から100mなかった子どもの通う保育施設は高台に移転新設されることに。
山には津波観測の定点カメラが設置された。
防災無線は各公共施設に強化してとりつけられた。
役場をはじめいくつかの公共施設はフリースポットが導入される。
ハザードマップは整備された。
より浜辺に近い地区では避難訓練も実施された。
産業単位で、行政単位で、コミュニティ単位で、個人単位で、他県の市町村とのネットワークを強くする動きを目にするようになった。


行政の防災担当職に就く友人には、休日中の会食時にも突発的な電話がかかってくる。
飛びつくように彼は電話に出る。
「何もなかった、よかった」と安堵した顔でテ−ブルに戻ってくる。


海岸線から50mないところには、義母と御年93になる腰の曲がった義祖母が住む。
地震から津波到達までの時差を考えれば、家のすぐわきの急傾斜の坂道を駆け走れば高台に逃げることは理論上可能だ。

「でもねえ」


「あたしはなんとか走れても、おばあちゃんは無理でしょう。突発的に車を車庫から出して乗せるとか、最悪あたしがおばあちゃんをおぶって走るとか、できるかどうか考えるけど」

「おばあちゃんは『置いて逃げろ』って言うけど、おばあちゃんにはさんざんいびられたけどーーーーーそんなのできっこないじゃない、ねえ」

義母はそう力なく笑う。


3.11から3年 被災地のいま


ハザードマップに書ききれない個々の避難にかかる課題があり、
「中小企業」というくくりの中に埋没してしまった、廃業の同業者たちがいる。
きょうと同じ日を維持するため変わっていくもののなかで頑として変われないものもある。
旧態依然の産業体制とか。
生まれ育った浜辺の我が家への情とか。


「近隣の同業者に支援できるくらいの余裕を」と考えるなら、未来のないこの地域のこの産業からは即刻撤退したほうがいい。
「親から継いだ家業を自分の代で潰すわけにはいかない」という意地だけがここに住む者たちを立たせている。


県の審議会では、これまで当該部署から委員に立つ人がいなかったらしい。
正直、県と現場の思惑がズレていると思うので、私もこの会にほとんど期待はしていない。
池田さんの言葉を借りると「ほとんど期待はしていない」というのは、「ちょっとは期待している」という意味で、
毎年3月11日がくると、そしてこれからも3月11日がくることを考えると、ウボアー('A`)となっている自分をどうにか奮い立たせて、せめてバイト代分くらいは、未だ残っている分岐に働きかけようと思うのだ。

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