「お慕い申し上げます」5巻 −心も無常、呪いもまた無常
最初はナントカボウズの「もんもんライフ」とかなんとかキャッチーなコピーがついていた気がしますがとんでもない。
のっけから仏教のテーマ「四苦八苦と人間」そして「仏教がいかにその普遍な苦しみに寄り添うか」を精緻にかつ肉感的かつとっつきやすく描いてるマンガです。
モンモンはしてる。
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 根本的な四つの思うがままにならないことに加え、
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。−wikipedia より
このマンガは主に里寺の後継者・清玄(せいげん)とその幼なじみで一般人の身から坊主になることを選んだ清徹(せいてつ)、そして清玄のお見合い相手として寺に訪れ(そして妻帯しないという清玄に断られ)、寺で僧侶になるべく修行させてもらうことを乞う、元オリンピック候補の陸上選手である節子(せつこ)の3人の視点からなる構成。この3人にそれぞれの四苦八苦が訪れます。
四苦八苦のどれが今の自分に影響を及ぼしているかによって、3者のどれに感情移入するか、どの視点で観るか、ちょっとずつ異なるかと思います。
5巻の中で特に私の心に刺さったシーン、ことばをいくつかメモ。
5巻のハイライトは、それまで嫉妬や妬み、情欲の囚になり、ものの見方を歪めていた節子。彼女が清玄・清徹のアドバイスに従い、仏教でいうところの「正見*1」をもって、自分の心をみつめ、「家族の呪い」と向き合うところ。
節子の実兄は「どうしようもない」父母が自分たちに残した遺恨を「呪い」と名づけて、節子はその呪いから逃れるよう彼女に「走る才能」を与えます。
その一方で節子の陸上選手としての才能を金に変え、「金のちから」さえあれば家族の呪いから逃れられると考えています。
節子は拝金主義になった兄の姿を見据え、こう言います。
「お兄ちゃんが呪われてるのは 自分で自分を呪いで縛っているんだよ」「呪いなんてお兄ちゃんの思い込みだよ」
「たとえそれが呪いだったとしても 呪いだって無常だよ 決して同じようには続かない…!!」
さらに兄とともに、確執があり3年以上会っていなかった実父と対面することで、自分の心にさまざまが動きがあることを見つけます。
そして清玄の祖父、峰博(ほうはく)和尚にこう答えます。
「私の心も無常です」
**
お恥ずかしい話ですが私も家族との確執が長かったので、節子の兄同様「金さえありゃ呪いを乗り越えられる」の心境になった記憶があります(今もそういうとこあります)。
でもお金があっても、呪いはなくならないんだよね。
呪いは「忘れてやるものか」と自分の心自体が作り続けているものだったんだな。
このマンガを読んでようやく気づきました。
節子がようやく我執から自由になり始めたころに、清徹を本格的に襲う病。
6,7巻くらいで話がまとまりそうかな?
(メインの主人公だけど今巻は泣いてばっかりでほとんどいいところがなかったw)清玄がこれから愛別離苦を乗り越えて、僧として、また里寺住職として、どのような道を選択するかも気になるところです。
私の高校の同級生でもお寺を継いだ男性がいて、より仏教を平易に、お寺を身近なものに感じてもらいたいと試行錯誤をしています。
私自身柳澤桂子さんの般若心経口語訳「生きて死ぬ智慧」を読んですごく助けられたなって思うところがあります。
なので、なんだかいろいろ悶々としてる人はまずはカジュアルな仏教の入り口としての「お慕い申し上げます」、良かったら読んでみてほしいなって思います。
蛇足でしたね。
読書数珠つなぎ
般若経の口語訳。文章も美しく読みやすかった。
装丁デザインも素敵です。
*1:ここでは主に自己中心の見方や偏見をもたず、正しく見ることの意