ボマー因子
なぜ、彼の敵は、『黒子のバスケ』の作者だったのだろう? - いつか電池がきれるまで
上記3記事は、「黒子のバスケ」事件について finalventさんが感じたことを角度を変えて2記事書かれたもの、それにfujiponさんが「なぜ犯人は統治者へではなくて黒子のバスケ作者に仇討ちを敢行したのだろうか、このゲームのマスターは?」と問うてるもの。
ゆっくり考えたいんだけどちょっと今子どもを園に迎えにいかなきゃいけないんでとりあえず要点と自分で思い出したことメモ書きします(じゃあオフラインでやれや)。
finalventさんもfujiponさんも問題解決への道筋は残してくれている。
具体的にどうしたらよいのかというのは、率直に言ってわからないなあと思うが、理路としては、失敗者から成功者への嫉妬をどのように解体するかということだから、「成功」の意味、つまり、社会的な成功の意味付けを、市民が組み替えていけばよいのだろう。http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/03/post-dcf5.htmlより
でもさ、「コミットできている」というのは幻想でしかなくて、もしかしたら、こういう姿を「適当にガス抜きさせておいて、働けるだけ働かせて、使い捨ててやろう」とほくそ笑みながら見ている人が、いるのかもしれません。
どんなにプレイヤー同士が傷つけあっても、ゲームマスターは、傷つかない。
ただ、今の世の中の「本当のゲームマスター」って、何なのかと考えると、わからなくなってもくるのです。
首相とか経済界の偉い人、というのも、ちょっと違う気がするんだよね……
以下個人的な回想
fivalventさんの2つめのドミニオンの記事を読んでふと思い出したのが「レミングス」というゲーム。
スーパーファミコンで1991年に発売とのことなので、私がプレイしていたのはおそらく11〜13才くらいの時。
ルールは、集団自殺する習性がある(それは誤解らしいんだけど、あとで調べるわ)レミングスをプレイヤーが操って、なるべく多くのレミングスをゴールまで導くというもの。レミングスを適切に導くため数匹に「役割」を与える。
壁を昇るクライマー (Climber)、はしごをつくるブリッジビルダー (Bridge Builder)、通せんぼをするブロッカー (Blocker)。
その中で「ボンバー/ボム(Bomb)」という役割がある。これは周りのレミングスを巻き添えにして派手に爆死する代わりに、壁に穴を開けることができる。
自分を犠牲にして他者のゴールを手助けするということ。
記憶では、このボマーを活用しないと絶対にクリアできない面もあった。
私は最初はそのゲームにはまっていたけど、やりこんでいくうちに子ども心に「なんてこれブラックなゲームなんだよ…」と陰惨なきもちになったのを覚えてる。
極東ブログで書かれている「ハラス」、ゲームであがりを目的とするのではなく他プレイヤーの邪魔だけを望む非合理人が、突然変異体ではなくて、社会にあらかじめ時限装置的にセットされている「合理的因子」だとしたら。
ボマーが周り数人を巻き込んで爆死しないと、大多数の人間が次に進めない、それが前提の社会だとしたら。
この社会では表向き「ボマーなんて役割は存在しない」ということになっているけど…
まだ答えはでないのであとでまたゆっくり考えます。
「ゲームマスターは誰?」「ボマーがいなくても成立する社会の価値付けはなに?」って考えるの結構大事なことのような気がする。
ちなみにゲーム「レミングス」はプレイヤーが策を失ってクリアできなくなると、「集団自殺」というコマンドを選択して強制的にその面をゲームオーバーさせなければリトライできません(制限時間が過ぎても自動的に「集団自殺」となってとんでハジけてリトライ)。
ほんとになんてクソゲーだよ…