コンテンツイーターを排除する手法とB級グルメって真逆じゃな
話題を食い荒らす、ネットの「コンテンツイーター」を防ぐには | 情報ネットワーク法学会
拝読しました。
わたくし、65歳以上の高齢者が人口の4割を超えるいわゆる少子高齢化地域に住んでまして、先のクローズアップ現代「極点社会」でも叫ばれてましたようにもう地域が過疎って過疎ってしかたがないので地元では「とにかく人を呼ぼう!Uターン者を!ネットインフラ整備してIT関連自営者を!グルメで街興しうをおおー!」って法螺貝吹いてる感じです。
で、上記のような適切な人にだけ届けばいいという「クローズドの街興し」と、それに対してのB級グルメ、ゆるキャラみたいないわゆる万人へのリーチを狙う「オープンな街興し」が乱立していて、わー落ち着きないな、というのが正直な印象です。
総じてクローズドの街興しはアート畑の人に多く、やはりアートそのものが「価値をわかってくれる人に適正な値段と手法で届ける」ことなのでそうなんだろうなあと思って見てますが、やもすれば雰囲気重視過程重視というか「わたしたちの住んでいるところはこんなに素晴らしいんだ」という原点回帰に終始している、逆に「価値をわかってくれる人」を育てようとする言葉の補足や教育やリップサービスがないために、「あ、自分は対象外か」と思っちゃう人が置いてきぼりになってる感も否めない印象です。
全部が全部じゃないけど。
かと言ってB級グルメで街興しも個人的には好かないです。
まずB級グルメの脂コッテリジャンク感が食事として興味がわかない。
それからB級グルメの祭典のために改めて土地の名産品を作ったメニューを考案するのも納得いかない。
あと自分の住んでるとこが「あのB級のまち」って言われるのに抵抗あるなあ。
さいわいわたしの町はB級グルメに参戦してないのでそう呼ばれるのは免れておりほっとしております。
手法や名称は二の次で目的は町の存在が広くリーチすることなんでしょうけども。
B級グルメやゆるキャラの波はあまりにも「町」としての消費を加速させるし、費用のわりに飽きられて廃れるのも早い印象。
毎回食べたり見たりしたい!みたいな中毒性があるものでもないと思うんだけど。一般的にはそうでもないんだろうか。みんないくたびに同じものを見たい食べたいと思うんだろうか。
1回食べたらもういいよ。
世界遺産指定区域など「クローズド街興し」の手法に適ったコンテンツはあるので、発信者が都度適切なチャンネル調整と間口のしぼりをできればいいですけど、現行の地方の自治体でそこまでコントロールできてるもんなのかなあ。
それからハフポでも書かれてありましたが「誰がそのコンテンツ作りを担うか」というのも地域ではとても重要で、先に話題になった文の里商店街のポスター。
作ったのが「電通関西支社の若手クリエーター60人によるボランティア」となってますが、直接文の里と関係のある人がこの60人の中に何人いるのかというのも興味があります。
わりとアート関係の人たちは地域振興に興味があるようなんですけども、このポスターでどのくらい収益が上がったのかどうやって測ってるんだろうか。
やもすれば外から来た人間達が地域問題にのっかってアーティストの作品発表場所に使って、問題解決には関心がない、という、それこそ「コンテンツイーター(マウンターか)」になってる、というのも地元で耳にします。
【予想外】斜め上をいく文の里商店街のポスター25点(第一弾) | creive【クリーブ】
美少女図鑑の仕掛け人のアカウントプロデューサーはこう述べています。
あくまで、地元で長く続けていくというのが目標としてあります。20年、30年と続けていきたいです。
新潟市のように割と20年、30年後も都市として継続可能そうな都市は地域内の経済循環を維持しようというものづくりでも大丈夫なんだろうなあと思います。
わたしの住んでるとこ20、30年後存在してるのかなあ。
SNS等インターネットの絞りの調整は意識しようと思います。
話がいったり飛んだりだけどとりあえず備忘録。書き残し。