nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

談志の芝浜(2001年12月21日)で布教したくなるほど泣く

抹茶です。日記です。


立川談志の「芝浜」をうっかり聴いて以来、ここずっと落語に取り憑かれてる。
いや談志に取り憑かれてる。


[asin:B001D08ONG:image:large]
[asin:4812449588:image:large]

このベスト集におさめられている2001年12月21日よみうりホールで演じられたもの。

ここですでにピンときた人は以下読まずに観た聴いたほうがいいです。すぐに
できればDVD。
以下落語あんまり知らない人が感想を書きます。




「芝浜(しばはま)」とは、落語の人気古典のひとつ。

ざくっとあらすじ

腕はいいが酒に溺れて仕事をしなくなった魚屋の勝(かつ)。女房にせかされてしぶしぶ半月ぶりに芝浜へ出向くと、ひょんなことから大金42両の入った革財布を拾う。
これでもう働かなくてもいいぞとばかりに勝は友人を呼んで飲めや歌えの大騒ぎ。翌日女房に同じように起こされ目を覚ましたところ、「そんな大金なんてどこにもないよ、おまえさん貧乏がすぎて夢みたんだろ」と女房。すべては夢だったのかと心をいれかえ人が変わったように働きに精を出す勝。
しかし3年後の大晦日、女房は「あの42両は実は夢ではなかった」と打ち明ける…

もうちょいくわしくはwiki

芝浜 - Wikipedia



ゾクっとしたところを書き留めます。

三者視点での補足がほとんどなく、ほぼ勝と女房の会話

談志はこの芝浜にこだわって演じている。
聴いた感じ2001年以前の芝浜はもっと古典落語の形式にのっとって、耳だけでもわりとわかるように演じられている。
けれども2001年のこの芝浜では、芝浜を名古典におしあげたといわれる「芝浜の朝日を拝んで情景を描写する場面」がほぼそげ落とされ、補足もごく最小限に抑えられててシンプルにされている(そのぶん聴覚だけでは伝わりにくい演出もある)。
その代わり練るように長い尺で演じられているのは勝と女房の会話の部分、長い長い無言の間の部分。
最小限に抑えられているぶん、観客もその演じられている長屋の場にいて、談志を通して2人を見ているような圧倒的なリアリティを感じる。
なんというか、これが落語のくくりでいいのだろうか、というくらいリアル。


談志と桂三木助の美学

この「芝浜」を名演目に押し上げたのは(3代目)桂三木助という噺家
ためしに桂三木助の演目も聴いてみた。
談志のを先に聴いてしまったせいもあるかもしれないけれども、確かに朝日ののぼる芝浜の描写は美しい、流れるような話の運び方はするすると耳に入るけれども、賢い妻がとんちを効かせて旦那をくるめ、真人間に戻らせる、という、やや教訓めいた話で完結している。

いっぽう談志が三木助の情景描写の代わりにスポットライトをあてたのは、

1, 働き者として迎える3年目の大晦日の夜
2, 愚鈍だけれども勤勉で勝を好いてやまない女房

の2つ。

1については、クライマックス前。
真人間に戻り働きが奏して人を使える人気の魚屋にまでなった勝と女房が、その年の仕事をすべて終わりをして畳で仲良くひとごごちついている時に、ちょうど除夜の鐘が聴こえてくるところ。

女房「108つ。」
勝「108つ。」
女房「ひゃくやっつ。」

勝「…おう、雪が降ってきた」
女房「あ、あの音?ちがうよ、お飾りの笹が触れあってんの。あたしもさっき間違っちゃったの。」

そういって女房はふふと笑う。
この夫婦の何気ない会話の中に、声色で、お互いをいたわる気遣いを表現している。




談志の「女」がうまい

談志がどれかの演目前のまくらで、「女(の演じるの)ができねえって噺家もいるけれど」といっていた。
そのときは「ふーんなるほど演目のなかの女って難しいこともあるんだろうなあ」と思っていたけれど、談志は理論で分解してすべて落語を自分の中に吸収できる人なので、きっと演目上の「女」の演じ方についても徹底的に研究したんだと思う。
談志の演る「女」は、ものすごくうまい。

三木助はじめ他の噺家さんが芝浜の女房の造形を「できた嫁」として作り上げているのに対し、
談志の女房はあくまで、そのとき江戸のどこにでもいそうな、普通の、凡とした女房だ。
「窃盗がみつかれば死罪」と大家に脅されて、42両を隠して夢と偽ったときのことを、談志の「女房」は泣き崩れながらこう告白する。


「ごめんよ、このお金、落とし主がでなくてすぐに戻ってきたのよ、大家さんがもってきたの、でもあたし、なんだか、出しちゃいけないんじゃないかって、」

「ごめんよ、あたしが勝手なこと、かってなことかってなことかってなことかってなことかってなことかってなことなのよ」


「ぶっておくれよ、蹴飛ばしておくれよ、顔が腫れるまで、気のすむまで、いや気がすまなくても…

でもさあ…お前さんお願い、お願い…別れないでおくれよ…お前さん好きなんだもん…」

このあたりなんて、「女房」が談志に憑いているんじゃないかというくらい、鬼気迫るものだった。
鳥肌が立った。
ほかの落語家さんてどういうものなのか私はわからないんだけど、談志の落語は同じ演目でもその都度内容がちがうとのこと。
ライナーノートで解説の川辺さんに談志が「キザな部分をいっさい演らず、ほとんどが成り行きまかせでやってみたら、馬鹿に良かった」と喋っている。

落語を見ててこんなに「このままこの人狂っちゃうんじゃない?」と心配したり、涙を流したりしたことは初めてだった。

そう、私は泣いたのだ、落語で。






私芝浜の内容をまったく知らずにこれを観たのですが楽しめました。
むしろそのほうが楽しめるかも。
さらに1回観てから芝浜について知って、もう一回談志の「芝浜」を観ると、さらに楽しめると思う。女房が勝を起こすとこの長い長い沈黙の意味とか。
落語は短いものだと20分弱で終わる噺もあるので、スキマ作業とか通勤の合間とかにもおすすめです。
そして私同様どっぷりハマるといいよ。



長いのにここまでおつきあいくださった方ありがとうございました。









言い訳(・ω<)

子どもの頃にラジオ落語で慣れ親しんでたくらいの知識でこんなエントリ書いても「てめえ生半可な知識で落語語ってんじゃねえぞこのスットコドッコイ!」と蹴られるでしょうけれども、
そういう状態だから理論とかバックボーンとかを抜きに頭でっかちにならずに、いま書けるものもあるだろう、そして同じく落語しらない人の目に触れればいいな、と思い、書きました。






Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...