八木節、グルーヴ、ロックンロール
抹茶です。やっぱり夏が好き。
午前にはじめて「八木節」ってのを聴いた。
地元の盆踊り同好会の人たちが回ってきて家の前で踊り出したのをなんとはなしに見ていたんだけど、これがまあすこぶるよかった。
きょう聴いた八木節は盆踊りに踊る曲としてはかなり速い。
「チャンチャンチャンチキチャン」の音に合わせて後ろで細かいバチ打ちがたくさん入っていて、このビートが民族音楽でなくて何かね。ああ、民謡って民族音楽なんだよね、トライバル、そりゃそうか。
地区で子供といっしょに踊ってくださいねー、と指定された盆踊りの曲が「よさこい」で、なにやら納得がいかないままその日が来ようとしている。
「八木節だって群馬発祥の輸入ものじゃねーか」と言われりゃそりゃそうなのだけど、今の町おこし目的でアレンジ・ダウンサイジングされてしまったよさこいとソーラン節のまじった合成肉みたいな代物にはやはり入り得ない何かが盆踊りの曲民謡の曲には入ってると思う。
それは転調転調をくり返しながらいつ終わるとも続けられる笛の音の悲哀だったり、単調だからこそ心にどこどこ響いてくる太鼓の振動だったり、そこから生まれるグルーヴだったり、自分が自分でなくなる感じだったり。
この踊り続けているうちに「自分が自分でなくなる感じ」というのが大事なのである。
彼岸と此岸の境目がなくなる感じ。わたしとあなたがなくなる感じ。そういえば青森ねぶたのはねとに参加して踊ったときもそんなトリップ感があったなあ。
だから、トリップするために、歌の歌詞なんて頭に入ってこなくてもいい。振り付けに心をとられるようではいけない。
一切合切の我をなくして空に「っアーーイ!」って間の手を打てるくらいで、盆は、夏は、弔いは完璧に終わるのである。