nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

At seventeen

2回吐いた。

飲み会への参加頻度が低いぶん1回のコスパをよくしよう、つまり前後不覚の泥になるまで飲み続けようとするあさましさいじきたなさを治したい。嘘。楽しんでいる。


http://www.flickr.com/photos/10310250@N02/2579525024
photo by Eilam Gil


高校で部活指導をしてくれた恩師の定年退職慰労会があった。
遠く静岡から同期の友人もかけつけていた。恩師はじめ周りは彼女のことを天才と称した。彼女は国士舘大にすすみ、61kg次期オリンピック候補にまで名前が挙がった。
肘を壊してスッパリ辞めた。
「もう苦しい柔道はたくさん」といってあっさり結婚、母になった。


彼女と2人、3次会のスナックで、お互いぐらんぐらん体を揺らしながら話した。
私は彼女にいった。

「あんたは覚えてないと思うけど、17歳の夏、高2のときに1度だけ、あんたから綺麗に一本を取れたことがある」
「17の頃は一番脳と身体のバランスが良かった。練習すればするほどイメージ通りに小指の先まで自在に動かせた」
「だからその時、いけるんじゃないかな、と思った」
「凡人でもつま先立ちのまま手を伸ばせば、なんとかいけなくはないんじゃないかな、って思った」


ただつま先立ちは長くは続かなかった。
もともと国立への一般進学を希望していた私は途中で力の配分を切り替えた。つまり柔道に対し手を抜いた。あっという間にみんなに追いつけなくなった。


「あの時もし、ーーーーー」 

「もし?」

言いよどんだ私に彼女はジョッキで続きをうながした。
私は破棄された分岐Bを想起し、うーん、忘れた、と言葉もろとも飲み込んだ。


私がもし柔道に最後まで向き合うことができたら。彼女にもう少し追いつくことができたら。
彼女がもし途中で肘をケガしなかったら。オリンピックに出られていたら。
そんな悔恨やコンプレックスはきっと誰にでもあって、こういう集まりのたびに少しずつ忘れていた痛みを思い出すのだろう。


司会は我ながら淀みなくできた。褒めてもらえたことを素直に喜んだ。
失ったものを忘れようとしても痛みは消えない。できるようになったことが少しずつ和らげてくれるのだ。だから毎度同じようなことばかり書くことになってしまうのは重々承知で、そういう両方の記憶をこまめに残していきたい。






Janis Ian - At Seventeen (Live, 1976) - YouTube

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