おきにいりタグをつけたブクマふりかえり2015
2015年の「おきにいり」タグをつけたブクマをふりかえる。
「おきにいり」タグをつけた基準は、分類しがたく琴線に触れたもの、もう一度以上は見返すだろう、この先のじぶんにとっても必要となるだろう、と感じたもの。
今年は72個(12/19時点)。
はてなブログの方へのブクマがどうしても多くなるため、通知がバンバンいきますが失礼いたします。
古いものから。
「メディアの本質は、動かすこと」ってことばが好きだ。
MATCHAを読んでいて心地いいのはこの姿勢が一貫しているからだと思う。
PVがどうの売上がどうのではなくあくまで「読んでくれている人が心地よいか、そこへ行ってみたいな、と思ってくれるか」を大事にしているから。
創作系のなかでくだらないけど好きだったな。せつなくて。
ICHIROYAさんの家族と書くことについてのエッセイ。
100%親という立場でもなく夢にしがみつく青年でもない和田一郎さんの文章なんだろうと思う。
一はただひとりのいちですね。などと言ってみたり。
美しいものを観たくなるのは人間の本能なんだろう。
スーパー野々村BOYで腹筋ワンダーコアした。
ao-ruiさんの肩の力抜けたブログも短編も好きなんですけどまた書いてくれないですかねー。
roombaさんのこちらのエントリは何度も読み返すだろうと思います。
自分を変えていきたい、できればよい方向に、とつねづね感じるし、その変わっていくなかで変わらずに残る一掴みの砂金が自分の軸になるんだろう。
変えるのも、その砂金がなんなのか見極めることも、難しいことだけれど。
「Writingはlighting」ということで。
これはそのあとに読んだ「作歌のヒント」内で書かれていた「機会詠」の話にも通じることだった(機会詠と三陸の話 - nerumae)。
書いたり、詠んだりすることは、光を当てる場所をじぶんで見つけること。その目線を鍛えること、信じること。
川添さんのラジオ対談はなぎさらささん、チェコ好きさん、カクタニさん、どの方も面白いんだけど、一番ブログのイメージと違ったのが局長さん。
不思議で面白い方だなあと思いました。ブログ書評も好きなのでぜひまたなにかの機会にお話聴かせていただければ。
「うしおととら」で育った年代としては動いている藤田和日郎先生を、しかもマンガを描いている先生を観れるなんて夢のようだった。
そしてうしとら時代からときおり線がデコボコしている理由がものすごくよくわかった。ホワイト修正の上に書き直し過ぎて3Dみたいになってた。
藤田和日郎先生は作品と一貫していて感動した。
吉岡洋さんは美学・哲学者さんなんですね。
昨今のエンブレム騒ぎをうけて、改めてオリジナリティについて考える。
カントが「オリジナリティ」と言うとき、それは「技術に規則を与える」という意味である。つまりそれは積極的なオリジナリティであり、才能ある後継者たちが「真似したい!」と強烈に思うような、イケてるスタイルということである。過去に類例があるかないかなんて、関係ない。仮に過去に似たものがあったとしても、それは今のこれにつながる予兆にほかならなかったのだ、と思えるような力が、オリジナリティである。
問題は、過去の何かを真似ているかどうかではなくて、未来の誰かがそれを真似るかどうかということである。
さらささんの旅行エントリは、ハシビロコウもすごいインパクトでしたが、個人的に喫茶きらめきスイーツの全然きらめいてない感を推したいと思います。
さらささんといまだなつきさんのエントリのおきにいり率が高かった。
えこさんの絵本の紹介のなかでも、人からプレゼントされた本の思い出についてのエントリ。
人からの贈り物についてのエピソードを読むのが好きです。
私Aは私Bを操っているようでいて私BというOS上で動くアプリにすぎない、という話すごくわかりやすかった。
そういえばこれ読もうとしてたんだっけ。いつ読もう。
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この他にも自分のなかで「すごくいい文章だったな」と感銘を受けたもの紹介したいものがいくつかあるけど、もうエントリを消されていたり、書き手さんの極私的な内容のため尊重したほうがいいな、と判断したりしたものは省きました。
あと褒めていただいたエントリとか。そちらはPocketとEvernoteに保存しておきにいりタグ付けてガン見してます。うへへ。
素敵なエピソード・記事・企画を、ありがとうございました。
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