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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

旬はずれ【第13回短編小説の集い参加作】

novelcluster.hatenablog.jp

参加いたします。虚無透さん企画運営おつかれさまでございます。
よろしくお願いします。


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お題「魚」
「旬はずれ」


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 最後の魚の仕込みを終えて、 定一( さだいち )は包丁を置き、ひとり、ふうと息をはいた。
「もう七年か」
 ふと顔をあげると、こじんまりした板場の斜め向い、小上がりに活けてある一輪挿しの紅葉が目についた。そういえばちょうど七年前のあの頃も、紅が最も映える、晩秋の夜だった、と定一は思った。

 金沢にある「こ ( がね )」は浅田金助という板前が一代で成した店である。大陸から入ってきた洋食が中産階級の口にも入るようになった時分に、昔気質のやり方で金沢、能登の魚を食わせてくれるといって、地元で評判になった。それを皮切りに、今では要職や美食家たちが予約を入れて使うほどの料亭にまで登りつめた。定一は能登半島の輪島の先のさき、鴨ヶ浦というちいさな魚村の三男坊として生まれた。数え十のころ、奉公というかたちで金助のもとへ引き受けられ、十五で「こ金」の板場へとあがった。それからさらに十五年、そのほぼ毎日を、この「こ金」の板場で過ごしてきた。


「定一さん、まだやってるの」
 ふいに暗がりから発せられた小夜子の声に、定一は右手に構えた出刃包丁をあやうく落とすところであった。
「なんだ、お小夜さんか。心の臓が止まるかと思った」

 定一は 俎板( まないた )の真鯛から目を離し、板場入り口のガラス戸へ手をかけこちらを見つめている小夜子へと顔をあげた。小夜子は白地に朱色で紅葉をあしらった寝間用の浴衣を着ていた。湯浴みの後らしく、黒髪を湿らせ、ほのかに顔を上気させていた。もうすぐ二十歳になる、女の佇まいに、定一は「こ金」の中庭に立つ、夜露に濡れた紅葉の鮮やかさを思い浮かべた。と同時に、その大人になりきれていない青さの残る顔つきに、幼い頃の小夜子が重なった。まだおしめの頃、定にィ、定兄と後ろをついてまわっていた時分から、小夜子のことを知っている。定一の胸の鐘は複雑な音を鳴らしていた。

「真鯛ね」
「へエ。能登からいい定置もんが届いたんで、今晩のうちに仕込んでおこうと」
「捌くところを見ていてもいい?」
 風邪をひきますよ、といおうとしたが、定一は小夜子の父親譲りの勝気と頑固を思い返し、ことばを呑んだ。小夜子の「見てもいい」は、「見るわよ」の意なのだ。

 二貫弱の真鯛を、左頭に俎板に載せる。鱗はとってある。 ( えら )を顎からプツリと取り外す。腹から鰓へスゥと出刃包丁を入れる。 ( はらわた )が出る。腸は塩辛用に丁寧に別皿に取る。一旦包丁を拭き、鯛の角度を変え、今度は背びれのほうからスゥと包丁を入れる。衣を脱ぐように半身が骨から剥がれ、美しい乳白色の肉が夜の板場にあらわになる。天地を返して、もう半身を骨から切りとる。
 片方の身の皮を剥ぐ。ぱらりと塩を振って、両面を昆布でしっかりとくるむ。
(よし)
 定一は昆布でくるみおわった鯛の身にそっと指先を置き、心の中でとなえる。
「おとっつあんたら、また定一さんに時期はずれの魚ばかり切らせて。今時期だったら鯖か何かでしょう」

 ガラス戸にしゃがんでむくれた小夜子が、定一の手が落ち着いたのを見計らっていう。ことばの上では父親への不満だったが、その不満は、定一にも向けられていることが目線でわかった。見てもいい、という殊勝な物言いをしたものの、作業のあいだじゅうまるで小夜子などはなからそこにいないかのように集中する定一が、その普段の朴念仁とはまるで別人のような手際の良さが、小夜子には面白くないのであった。

「まあ、そうですね。でも俺は、こういう旬はずれの魚を扱うほうが好きですから」定一は切った身を冷蔵庫にしまいながら、小夜子をなだめる。
「たしかに鯛は春先が一番美味い。言っちまえば、だれが ( さば )いたって美味いんです。今時期、晩秋の鯛は、春先ほどの脂もない。厳冬のほどの身の締りもない。けれど、ちょっとした手の加えようで、旬に勝るとも劣らない味が出る。人間様の手前勝手で網にかかっちまった命です。魚だったら、せめて最後の一切れまで、ああ美味い、と言われたいだろう。俺はその手助けをするのが好きです」
 何百回、何千回と、金助の横で耳にした文言だ。定一は金助の手際を思い返すように、自分に言い聞かせるように口にする。
 
「おとっつあんとしゃべることまで同ンなじになって」そういうと小夜子はたた、と板場へ駆け降り、そのままの勢いでどしんと定一の胸元に飛び込んだ。
「魚にばっかり情けをかけて。あたしもいっそ、定一さんにさばいてもらいたい」

 突然のことに、すっかり忘れていた定一の胸の鐘がもう一度鳴りだす。棒立ちになったまま、お小夜さん、寝間が汚れますから、生臭くなりますから、とひっぺがそうとして彼女の肩を掴んだとき、定一は小夜子の肩が小刻みに震えていることに気づいた。
「お小夜さん?」
 小夜子はこぶしをつくり、定一の胸をどんとひとつ叩いた。
「定一さん、どうしてあたしをもらってくれないの。どうしておとっつあんに掛け合ってくれないの。あたしが定一さんのことを小さい頃から好いていることも、定一さんがあたしを好いてくれていることも、おたがいずっと前からわかっているのに」
 そういわれて、定一の身体の中を一瞬、堪え難い衝動が走った。この肩に置いた両の手を小夜子の背にまわしたい。ぐいとからだじゅうに抱きとめたい。そうだ、うんそうだ、お小夜。ずっと好きだった。そう胸の内を白状してしまえればどんなに楽か。
「おとっつあんが、縁談をもらってきたの」
 小夜子は定一の胸にしがみつき、しゃくりあげたまま、ぼそりと言った。
「常連の、呉服屋の息子が、あたしを見初めたんですって。いままで何度も何度も縁談を断ってきたけど、今度ばかりはもうだめだ、店の、『こ金』のためだ、受けてくれって、おとっつあんが頭を下げて」
 定一の小夜子の肩から浮かせた手が凍りついた。
 ああ、そうだった。どうして忘れていたんだろう。お小夜は美しいのだ。誰から見ても。
 一代上がりとはいえ大店の、こんなにも凛と美しい娘に二十になるまで縁談の話がこないほうがおかしい。小夜子は自分のことを想って申し出を蹴っていたのだ。けれども、それが重なるごとにどんどん「こ金」の立場は悪くなるだろう。それに、いつまでたっても二番手、三番手しか切らせてもらえない、うだつの上がらない板前の自分のもとに嫁いだところで、一体小夜子になんの幸せがあるというのか。この小夜子の握りしめたこぶしの内側にある、白魚のような指先に、苦労を負わせていいほどの甲斐性は自分にあるのか。
 育ててくれた親方へ、恩を仇で返すような真似はできない。裏切ることはできない。
 
 定一はしがみつき泣きじゃくる小夜子を胸に抱えたまま、しばらく動かなかった。
「定一さん」
 小夜子が目を腫らして定一の顔を見上げたとき、定一はぐいと小夜子の肩をつかみ、一気に引き剥がした。そして板場の足元に頭を下げたまま、言った。お小夜。お小夜、お小夜。

「お嬢さん、お幸せに」

 小夜子の大きな目はさらに大きく見開かれ、定一をとらえた。やがて、両のまぶたが一度ゆっくりと閉じられたのち、定一の作務衣にしがみついていた手が力なくほどかれた。そのまま小夜子は足を引きずるように、板場の入り口まで歩いた。
 定一は自分の足元に目を落としたまま、ピシャリとガラス戸が閉められる音、キシ、キシと小夜子が廊下を戻る音だけを聴いていた。
 その夜かぎり、「こ金」の板場で、定一と小夜子が顔を合わせることは、二度となかった。


 ――あれから七年。

 今でも自分の選択は間違っていなかった、そう定一は思う。手を洗って前掛けを取っていると、店と家続きになっている奥の戸ががたり、と開いた。
「あなた、まだやってるの」
 小夜子が顔をだした。寝間着に肩掛けをしている。定一は小夜子のほうへ顔をむけると、前掛けを置いてゆっくりとそちらへ向かった。
 七年前のあの夜。定一は小夜子との一生を、夫婦ではなく、親方の娘と板前で終えることを望んだ。その後、小夜子が父親の金助に縁談をすすめてもよいと伝えた、という噂話までは我慢して聞いていられた。ところがそれからすぐに、小夜子が床に臥せて飲むものも食うものもとらず、料亭の娘なのに飢え死にしそうだという兄弟子や女中たちの話に定一は居てもたってもいられず、臥せっている小夜子を半ば連れ去るようにして、「こ金」を出たのだ。
 それから七年。金沢を出て、定一はがむしゃらに働いた。自分でもこんな力が出るものか、そう思うくらいに働いた。
 十五の時から使う当てもなかった貯金をはたいて、小さな小料理屋「魚さだ」を構え、能登の外れでひっそりと、小夜子と二人営みはじめた。
 十五年の「こ金」での下積みと、小夜子の応対のおかげで、「魚さだ」は「朴訥ながらも実直、いつ行っても滋味のある魚料理を食わせてくれる店」として、しだいに界隈から受け入れられるようになった。

 「もう七年にもなるんだな。あっという間だ」定一は小夜子の隣に腰をおろしてつぶやいた。
 
 「あの時は、迎えにきてくれなけりゃ、本当に飢え死にしてやるつもりでいたわ」小夜子はふふ、と笑い、口元に手をあて、戸の奥の寝床をふりかえった。寝床では、数え五つになる娘の美代子がすやすやと寝息を立てていた。
 定一は小夜子の手をとった。指先が赤く、ひびわれ、ささくれていた。七年分の荒れだった。
「結局、苦労をかけてしまったな」
「生きてるんだもの、苦労くらいするわ」小夜子が定一の肩に、こつん、と頭をのせた。
 明日は正月ぶりに店を休めて、金沢の「こ金」へ、金助のもとへゆく。「魚さだ」の評判が金助の耳にも入り、先日手紙が届いたのだ。文面には、「家族で孫の顔を見せにくるように」とあった。


(了)


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