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nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

海つ神【第22回短編小説の集い参加作】

novelcluster.hatenablog.jp

おひさしぶりに参加します!
運営者様とりまとめおつかれさまです。

以前書いた習作を完全手直したものです。


お題:「海」
(空白含む3738字)


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海つ神


f:id:macchauno:20160719201219j:plain


 海からの風が白いモクシュンギクを揺らして丘を駆けあがり、青太の頬をひと吹きした。
青太はまぶたを開けて合掌をほどき、風のきたほうへと顔を向けた。潮の香りが鼻をつく。筋雲が広がる空の青に、ほんの一滴だけ墨を垂らしたような群青の海面が、盆を迎えてなお強い日射しを乱反射させて広がっていた。

「風が出てきたな」
となりで手を合わせていた正晴が、首もとの汗をひとぬぐいして立った。青太は墓石を指差して正晴を見つめた。

「ねえ父さん、どうしてうちにはふつうのお墓とこのお墓、ふたつあるの」

それは、墓石の群れからはなれてひっそりとあった。研磨も刻字もされていないただの岩が墓所の丘のすみっこ、盛り土の上に、ぽつんと海を見つめるようにして立っていた。

正晴はわずかに目を見開いて青太を見つめた。やがて何かを心に決めたようにゆっくりと口を開いた。
「こっちのお墓はね、勇蔵じいちゃんーーお前のじいちゃんの網にかかった人のお墓、そしてお父さんの弟の墓なんだよ」
「弟?小さい頃にいなくなったっていうーー」
「そうだ。どこから話そうか…」


 勇蔵という漁師の手繰り網に、無縁仏がかかった。
この村でいう無縁仏とは、身投げや海難事故などで亡くなった身元不明の死人のことを指す。無縁仏は、長いあいだ波にゆすがれてまっさらな骨になったものから、昨日今日の姿のものまでさまざまだった。
勇蔵はいそいで網から遺体を外そうとした。
絡まる網をほどいていくうち勇蔵がおどろいたことには、上のからだは人間の男のものであったが、下は人のそれではなかった。腰から下には太刀魚のように、銀色で鱗のない、ひょろんと長い魚の体躯がくっついていた。

男にはまだかすかに息があった。臓腑がえぐれていた。鮫か、と勇蔵は思った。

男はきれぎれの声で勇蔵にいった。
「どうか俺を、海の見えるところへ葬ってくれ」
勇蔵がわかった、わかったとこたえると、男は自分の右の目玉を指でくり抜き勇蔵にわたした。男の目玉は勇蔵の掌にのると、たちまち鈍く七色に光を映す玉となった。玉から男へ勇蔵が目をうつすと、男はすでに息絶えていた。

勇蔵は約束通り、男のなきがらを墓所の丘へと埋め、無縁仏として手厚く供養した。

 その年から数年間、勇蔵の出す手繰り船は網をかけるたび漁があった。勇蔵はあの無縁仏のおかげだと、男からもらった七色の玉を家の神棚に祀った。

 やがて勇蔵は二人の男児をさずかった。
上の子の名を正晴、下の子を青磁といった。

正晴が九つ、青磁が六つの頃であった。青磁がとつぜん倒れた。
原因不明の高熱が続き、医者も匙を投げた。
青磁が意識を失って七日目の晩、家族の誰もがこれまでかと、横たわる青磁の枕元で顔をそむけたとき、正晴はばんと床間を飛び出した。仏壇にすがった。神仏に祈った。
「神様、仏様。どうか青磁を、弟を助けてください。俺のたったひとりの弟なんです」

正晴が泣きながらそういうと、仏壇の上の神棚の奥で、ぱきん、と大きな音がした。正晴がおどろいて神棚をのぞくと、無縁仏からもらった玉が真っぷたつに割れていた。玉は光をうしなってただの石となっていた。

その翌日、青磁は目を覚まし、何事もなかったかのようにけろりと起き上がった。家族のものはみな奇跡だ、奇跡だと声をあげて青磁へ抱きついた。青磁はことば以外の記憶のいっさいを失くしていた。


 それから六年が経った。
正晴は、たくましく精悍に育ち、学校のかたわら父親の漁を手伝うようになっていた。いっぽうの青磁は線が細く青白く、つるりと人形のような顔立ちだった。女児と見まちがえられたり、ときおり「男女」などと泣かされることもあった。そのたびに正晴は青磁をかばい、青磁はそんな正晴を慕った。夕暮れどきになるとひとり家の前の浦の岩場へ腰かけて本を読みながら、勇蔵と正晴が乗る船のもどりを待った。

最初に青磁の異変に気づいたのは、小学校で隣の席に座る同級生だった。
ある子どもは、「青磁の座ったあとの机や椅子が濡れている」といい、またある子どもは「青磁がこわい」といった。

その噂が正晴の耳に入る頃には、家の中でも不可思議なことが起こるようになっていた。正晴と同じ蚊帳の中で布団を並べて寝ていたはずなのに、翌朝青磁の布団だけが豪雨に降られたあとのようにぐっしょりと濡れていた。かと思えば、青磁の入ったあとの風呂がすっかり干上がっていることもあった。
兄弟で浦へ素もぐりに出かけたとき、岩場の陰でうずくまる青磁に声をかけようとして、正晴はとどまった。
青磁は生きた鯵を両手に何匹か抱え、頭からばりばりと喰らっていた。


 噂は波のように広がり、村の子どもたちは青磁を気味悪がるようになった。

ある夏の昼下がりのことだった。
番屋の前に腰かけ、網修理を手伝っていた正晴のもとへ、若手の船夫仲間が二、三人、息を切らして駆け寄ってきた。

「正晴、今すぐ来てくれ、鉱山跡の空き地で青磁が洋三たちに囲まれてーー」
「洋三って、青磁があの巨漢に一人でかなうわけないじゃないか、卑怯者どもめ」

いうが早いか、正晴は持っていた編針を投げ捨てて、一目散に空き地へと駆け出した。
路地を走りぬけ、空き地の奥、背の高いすすきの穂の向こう側に、幾人かの人影が見えた。廃坑となった鉱山の奥屋の塀を背に、青磁が数人の男児たちに囲まれていた。

「化け物が。人間様だっていうなら、今ここで裸になってみせろ」

小僧たちの中心にいた洋三は、あばた面に嘲笑いを浮かばせた。青磁は冷ややかな眼のまま洋三を一瞥すると、ぶっと唾を吐きつけた。

「てめえ、このうらなり野郎が」真っ赤になった洋三が、青磁の髪をわしづかみにして、対の手を拳に握ると力任せに青磁の頬へと振り下ろした。青磁の身体は、たちまち後ろへふっとんだ。
青磁、と正晴が駆け寄った次の瞬間、ぎゃあああ、と豚に似た悲鳴が廃坑の壁面にぶつかってあたり一帯に轟いた。
声は洋三のものだった。
身体を起こした青磁が洋三の頭に掴みかかるや耳に喰らいつき、そのままさながら野犬のように首を全力で真横にふりきった。ぶち、ぶちという鈍い肉の切れる音と、ひい、ああと都度大きくなる洋三の泣き声に、茫然としていた正晴ははっと我にかえった。そして「よせ、青磁!」と二人を引き剥がそうととっさに腕を伸ばした。

みしり、と骨の砕ける音。

声にならない兄の呻き声で、青磁はやっと動きを止めた。
青磁の犬歯が正晴の腕の肉に楔のようにくいこんでいた。
正晴の後方には、左頬を血で真っ赤に染めた洋三が股を濡らして失神していた。噛みちぎられた左耳は薄皮一枚で洋三の顎肉にぶら下がっていた。

「兄さん」

青磁は正晴の腕から口を離した。
血のにおいが潮風にのって、すすき野原一面を揺らしていた。



 それから少したった、ある風のない夜のことだった。
群雲に隠れていた新月がほんの気まぐれに顔をのぞかせ、蚊帳の中で眠る正晴の横顔をさっと撫でつけた。寝苦しさにううん、と寝返りをうった正晴は、となりの布団に青磁の姿がないことに気がついた。

「青磁?」

正晴はざわつく胸をおさえながら寝床を這い出た。物音を立てないように裏勝手を出て、路地を曲がると、自然と足が浦へ浦へと駆け出した。なぜか予感のようなものが、正晴のなかにあった。

浦に着いた正晴は、目を凝らして青磁の姿を探した。入り江には勇蔵の手繰り船のほか数隻が停泊するのみで、それらも新月の心もとない灯りではほとんど見えない。ざざあ、と砂を呑み込む波の音と、草むらにかくれる鈴虫のりりり、という声だけが暗闇にこだましていた。潮の匂いが、焦る正晴の動悸をどんどんと速くさせた。

夜を映して重油のような波間のなかに、はたして青磁の後ろ姿はあった。

青磁は沖に向かって水面を、とぷ、とぷ、と歩いていくところだった。

「青磁、いくな、青磁」

正晴がざぶざぶと波しぶきをあげて青磁の背を追い海へ入ると、青磁はうつろに後ろを振り向いた。

「くるな、兄さん」

正晴がもう一度青磁、と呼びかけると、青磁はふたたび、こないでくれ、といった。その声はひどく落ち着いていて、しかしもはや青磁のものではなかった。

「人の世は楽しかった。お前の弟として生きたことは幸いであった」

そう言い終わると青磁は、頭からとぷん、と波間の中へ沈んだ。



それきり、青磁の身体があらわれることはなかった。




 「その青磁さんて人、どうなったの。死んじゃったの」

青太が石段を下りながら、父の顔を見上げていった。

「わからない。すぐに大人も警察も呼んで探してもらったけど、結局どこにも見つからなかった。遺体もあがらずじまいだ」

正晴は歩幅を青太に合わせながらゆっくりと答えた。

「それからしばらくして、不思議なことが何度かあった。じいちゃんと父さんが乗る船が時化で流されたことがある。でも急に風が凪いで、気づいたら岸辺近くまで船が運ばれていた、とかな」
「青磁さんが助けてくれたのかな」
「そうなのかもな」

正晴はふふ、と笑った。目じわに陰が落ちた。

「でもなあ」

正晴は自分の腕を反対の手でさすった。青太が目をやると、浅黒く日焼けしたそこに肉のひきつれて赤く盛り上がった歯跡が、うろこのように点々と並んでいた。

「俺は青磁が何者でも、どんな姿でも、いてくれればそれでよかったのになあ」


   (了)



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