消えていくものを必要以上に儚んではいけません
「消えていくものを必要以上に儚んではいけません あなたの魂がすりへってしまいますよ」
(BORDER最終話より)
先日地元新聞の広告欄に、知ったお店の閉店の挨拶が載っていた。
地元でも知れた名前の老舗の喫茶店だ。
50年ちょっとの歴史に今月で幕を落とすとのこと。
こういう風に好きだったお店の閉店のお知らせを見るたびいつも思うのは、
「ああ、もっと何かできることがあったんじゃないか」ということ。
実際は私ひとりがどんなにがんばって通いつめたところで、それだけでお店が存続できるわけでもない。
経営状態とか、情勢とか、店主のモチベとか。
私の外で起きている出来事に対して、実際に私ができることというのはほとんどない。
こんなのを見るたびに「ああ」と儚むのであれば、もっと好きなお店には足繁く通えばいいし、好きなお店や人には好きだと感じた瞬間にそう伝えればいい。
どうもわたしには、事象や物体が終わりに直面したときにやっと、それらが物語をもって美しく輝いて見える、みたいな思い込みがあるらしい。
消えていくものに鈍感になりすぎるのもよくないとは思うけれども、どう向き合っていけばいいんだろう。
きょうの5分間文章スケッチ:「男性たち」
5分間文章スケッチ「男性たち」
写真は説明のあとにあります。描写から想起されたあなたのイメージが写真と近くなるでしょうか?
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男性が2人、腰かけてこちらを見ています。
イスラム教圏でしょうか、2人とも豊かなヒゲをたくわえています。
2人とも中東〜インドを思わせる白に丈の長いシャツを着ています。
2人のうちひとりは髪もヒゲも白髪で、歳のころ60〜70でしょうか。
体を横に向け、頭に白い帽子をのせています。
顔だけを90°向けてこちらに目線を向けています。
奥にいるもう一人の男性は先の一人よりもう少し若く40代過ぎといったところ。
黒々とした髪と恰幅のいい体躯が白髪の男性とは対照的です。
その男性の奥には雑多な掃除用具のようなものがかかっています。
黒髪の若い方の男性がアラビア語らしき新聞をもっています。
画面右手前にも同様に新聞が見えます。人が集まるサロンのような場所かもしれません。
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写真はこんな感じでした。
*今回気をつけたところ
できるだけ写真上にある材料の説明を、大まかなもの→小さい部分と意識して見ましたがどないでしょうか。精進します。




