nerumae

ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

近況:大人になれば

先日ひとつ年をとった。

人は「誕生日くるのって憂鬱じゃない?だってまたひとつ歳をとるのよ?」というけれど、自分にはそういう感覚はなくて、むしろ少しうれしい。
「あれ…こんな歳になったのにまだ大人になってないぞ…?」という焦りはあるけれども。


子どもの頃は、

子どもの頃はきっと三十も過ぎれば劇的に変わっているにちがいないぞ、と期待していた。
マンガも卒業しスーツを着てはたらき、家族や周りへの恨の感情なんかもすっかり雲散霧消して、だれも自分のことを知らない土地で自分の人生を、現実を謳歌できているんだ、と夢見ていた。

ふたを開けてみて現在。
スーツは着ていないし家族へのしこりも消えないし短歌や短編小説ばっかり読んだり詠んだり書いたりしてあいかわらず地に足ついてない、マンガもちくしょう大好きだ。


関数をおぼえたりTPOに合わせて見せる自分を選んだり、そういう社会に出て必要な実地的なことは身についたけど、それで自分のなかの核がすっかり別のものに入れ替わるかといえば、ああ、そうではないらしい。
ただ、その頃から体験を重ねたり人と話したりして核の周りに何層も薄い膜ができて、その少し離れた各階層から、核だった自分を客観的に見れるようはなってきた。
時間の力すごい。

大人になっていくってのはそういうことなのかもしれない。



きっと私が「大人だ」と見上げていた、周りの人たちもそうだったんだろう。親戚のおじさんおばさんも、がんばって「大人」やってたんだな。



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小沢健二の歌は、聴いていた当時は「ポップ過ぎかんたんすぎて物足りん」と思っていた。いまはすっと入ってくる。
受けとりをジャマしていたものが少しは小さくなったみたいだよ。

「海つ神」振り返り【第22回短編小説の集い】


nerumae.hateblo.jp



第22回短編小説の集いに出した拙作です。

この話は2年前、ちょうど短編小説の集いに参加しはじめのころ、「物語書くのおもしれー!」ってテンションそのままでワーッって書いた話です。原型はこれ→
ナイトフライト: 【習作】海つ神


何かの電波を受信したように半魚の男、右目をくり抜く、といった情景の断片と、「海つ神」という変なタイトルがパっと頭の中にフラッシュしたのを覚えています。物語はそこから肉付けしていきました。
タイトルなんて読むんだろう。「うみつかみ」?「わだつみ」?ネットのどこかで見かけた表記が記憶に残っていたのかもしれません。気に入っているタイトルです。

何をやりたかったか

・ナラティブ性、口頭伝承・民間伝承の話の面白さを書いてみたかった
・「海」を物理的よりもうちょいつっこんだところで描写したかった

です。


・海の描写をおなかいっぱい書きたかった

海の近くに住んでいるので。優しい海、静かな海、くらい海、荒ぶる海、いろんな海の表情があって、それを文字化できねえかなと。


・「無縁仏」の逸話と「海」への信仰

「無縁仏」は実際に私の住む町に伝わる逸話です。この無縁仏もそうだけど、日本の、海に携わる生業の人達のあいだでは、昔から海や山の神様は神道ギリシア神話に近い、人間性の強い神様と考えられています。

海の神様は女、それも嫉妬深い女と伝えられています。だから昔は船は女人禁制。船乗りの男が結婚したり、子どもを授かったりすると海が荒れたり海難事故が起きやすくなると言われています。

ちなみに山の神様もおなじく女で醜女なので、同じく醜魚のカジカを山に備えると猟をさせてくれるとか。蛇足だね。


そういう人間くささもあるかと思えば、5年前のまるで人間性を感じさせない、自然神そのもののような大津波もおこる。

今回の青磁は後者のほう、人間性のない「海の神様」としての圧倒的な自然の側面、荒ぶる力、それは人間の人智や器のなかにおさめることはできない。その結果として海に還ることになりました。

・正晴の愛は自己欺瞞ではないか

この話で書きたかったことのもう一つは「中身の違う人間を愛することは真の愛か?」です。

正晴は青磁に異変が起きたとき、うすうす青磁の中にあるのはかつての「人間であった」青磁ではないと気づいていると思うんですよね。

ラストで正晴は「青磁がなに者でもいいからいてくれればよかったのになあ」とつぶやきます。
一見それは美しい兄弟愛のように見えるけれども、中身がかつてのその人とは違うものになっても、他者を傷つけることになっても、「そのままでいいからそばにいてほしい」と恋うのはよくよく考えたらかなり利己的ではないかなあと感じるんですよね。
その利己性も含めて、いろんな愛のかたちがあるんでしょう。そのグラデーションひとつひとつを書いてみたいと思います。



感想でいろんな見方をしていただきました

かなり嬉しかったです。「伝わってる!」という嬉しさ、「そういう見方をしてくれたのか」という嬉しさ。世に出した時点で自分のものではなくなる、ということがこんなにも嬉しいことだとは。


まずは川添さんの異種間でのコミュニケーションとしての物語。
lfk.hatenablog.com


そうおう見方で自分の書いたものを振り返ると、「コミュニケーションを諦める話が多いな」と思います。
この話も結局荒ぶる性をコントロールできなかった青磁(の中の人)が、「自分は人間にはなれなかった」とあきらめて海に還るんですが、そしてその意思が最後の人間性になるわけですが、正晴は青磁が人外だろうと他人を傷つけ続けようと、生きてそばにいてほしかった、コミュニケーションをとり続けたかったんですよね。
もしこの話の続きを私以外の誰か、たとえば川添さんが書いてくれるとするなら、「人を傷つけてでもここで生きろ」というとても力強いものになるかもしれないと感想を読んで思いました。



masarin-m.hatenablog.com


まさりんさんに、狙ったとおり「荒ぶる神」として感じていただけて嬉しかったです。文章をほめていただいて恐れ多いかぎりです。またサチエ並にチビってます。情景描写はまさりんさんをお手本にして、細部まで見ようと試みています。





改善点

毎度の反省になるんですが、語彙にこだわりすぎて肝心の話の骨組がしっかりしていたかといえば自信がありません。
あれもこれも詰めすぎて描写不足、ぼやけてしまっていたかも。とくに鉱山跡地で青磁が洋三の耳を噛みちぎるところは大幅に肉付けしたので、後付け感が強く、書き方が性急に感じるかもしれない。
次回参加するときは見せ場を絞ってそこを丁寧に書くようにします。






ここらへんが反映されています

人魚の傷

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川上弘美「龍宮」より「海馬」


川上弘美「なめらかで熱くて甘苦しくて」より「ヰタ・セクスアリス


最終兵器彼女(書いたあとからあ、似てると思った)

[asin:B00DQ3BSLS:detail]




おそらく。血肉になってるもんですねえ。

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