惑星おでん−短歌の目12月
さ、参加しまーす。
題詠5首「惑星おでん」
1. おでん
火星でもおでんとビールがあればいいよくわからない足が煮えてる
2. 自由
平日の光のどけき銭湯でゆびをふやかすくらいの自由
3. 忘
忘れない光年先の凍光をいまはもうない星のあなたを
4. 指切り
「死ぬ前にあけて」と指切りしたままの小指できみはコールド・スリープ
5. 神
神よ神よ、あなたが忘れたこの星でふたりぼっちの神さまになる
テーマ詠「冬休み」
夜を越せば大人になれるはずなのに気づけばだいたいサブちゃんである
初詣神社へつづく提灯路 夜のおとなはなんだかこわい
冬晴れの軒先下のつららにはいっぽんいっぽん朝日が宿る
小指ほどのつらら含んで走り出す太陽の味はつめたくあまい
空を切り細氷を切りそりはゆくまつげの奥の正しい速度
てのひらの六花がまるく融けていく大人になっても見えていますか
近況:大人になれば
先日ひとつ年をとった。
人は「誕生日くるのって憂鬱じゃない?だってまたひとつ歳をとるのよ?」というけれど、自分にはそういう感覚はなくて、むしろ少しうれしい。
「あれ…こんな歳になったのにまだ大人になってないぞ…?」という焦りはあるけれども。
子どもの頃は、
子どもの頃はきっと三十も過ぎれば劇的に変わっているにちがいないぞ、と期待していた。
マンガも卒業しスーツを着てはたらき、家族や周りへの恨の感情なんかもすっかり雲散霧消して、だれも自分のことを知らない土地で自分の人生を、現実を謳歌できているんだ、と夢見ていた。
ふたを開けてみて現在。
スーツは着ていないし家族へのしこりも消えないし短歌や短編小説ばっかり読んだり詠んだり書いたりしてあいかわらず地に足ついてない、マンガもちくしょう大好きだ。
関数をおぼえたりTPOに合わせて見せる自分を選んだり、そういう社会に出て必要な実地的なことは身についたけど、それで自分のなかの核がすっかり別のものに入れ替わるかといえば、ああ、そうではないらしい。
ただ、その頃から体験を重ねたり人と話したりして核の周りに何層も薄い膜ができて、その少し離れた各階層から、核だった自分を客観的に見れるようはなってきた。
時間の力すごい。
大人になっていくってのはそういうことなのかもしれない。
きっと私が「大人だ」と見上げていた、周りの人たちもそうだったんだろう。親戚のおじさんおばさんも、がんばって「大人」やってたんだな。
小沢健二の歌は、聴いていた当時は「ポップ過ぎかんたんすぎて物足りん」と思っていた。いまはすっと入ってくる。
受けとりをジャマしていたものが少しは小さくなったみたいだよ。