ラマヌジャンみたいに短歌で日々の金脈をさがす
こちらのキューインガムさんの短歌感想を拝読して、すごく共感したのと思い出したことがあるのでログします。
ちょっと迂遠になるけど。
学生のときに読んだこの本のなかの「ラマヌジャン」のエピソードが好きでたびたび思い出す。
ラマヌジャンはインド出身の数学者で、小さなころから天才的な数学のセンスをもっていた。
生まれた土地の美しい山の稜線や平野を見てはそこからさくっと掘り出すように「あそこにもある、あ、ここにも」と数学の新しい公式を発見し、32歳という若さで亡くなるまで周囲を驚かせ続けたという*1。
そのエピソードを、キューインガムさんの以下の部分を読んで久々に思い出した。
まとめとしては、わたしやっぱり日常が好きみたいです。
誰かの日常が好き。
誰かの日常の中にふと見える不思議で楽しい世界が好き。
短歌を詠んだり読んだりしていると、たった31文字なのにそこには確かに物語があって、物語というのは作るものなのではなくて、実はそのへんに落ちてて、たまたまそれを拾ってなかっただけなんじゃないかという気になります。
短歌の好きなところは(たくさんあるんだけど)、小説にするには短いよなー、みたいななんでもない日常、でも心の中に残ってるあわいや淋しさや不思議さも韻律にのっけて残していいところ。味噌汁がしみるとか冷蔵庫の卵置き場に思いがけず落ちた自分の涙とか。
いい短歌を読んでからふとまわりを見ると、自分の日常にもそんなあわいや淋しさがあったことに気づく。それらは最初から世界に在って、いままで自分が気付かなかっただけなんだ。世界の中にあった、数学の公式のような、美しいもの。
ラマヌジャンが数学の目を得て日常から美しい数式を掘り起こしたように、私も短歌の目でもって日常にもっといままで見えなかったものを見えるようになりたいんだと思う。キューインガムさんのおっしゃるようにすくい取れてなかったあわいを切り取りたいんだと思う。そういうフィルターを皆にも試してもらいたいんだと思う。
そう考えると今はどうしても「むりくり作ってる」みたいな短歌ばっかなので、まあ月並みなシメなんですけど、「あるものを見つめて、詠める」ようにこころがけたいと思います。まる。
id:k_sampoさん経由で即効買ってしまいました。だいたい言いたいこと全部書いてあった。