第7回9月で詠んだ題詠短歌10首のふりかえり・ざくっと自己添削をします。
個人的に気に入っている歌には★を付けました。
1.一錠
そのうちに一錠飲めるようになるきみの額がしんみり熱い
情景
「そのうちに一錠飲めるようになる」つまり今は飲めない、粉とかシロップで熱さましを飲む子どもについて詠んだ歌です。
熱をあげた子どもの額に手をあてて心配をしながらも、やがて成長してしまうことを寂しくも思う。
課題
「しんみり」が主観、説明くさい
「親子」という定石に寄っかかってる
2.おい★
幼手に餃子教えた祖母はもう我を知らない ちょっとだけとおい
情景
遠方に住む母方の祖母がまだら痴呆になってしまって、もう私がいつ訪ねていっても「お客さんですか?」と言われるんですよね。家族のうち4人はすっかりボケて私のことを忘れて亡くなっているのでいい加減心づもりはできているんですけど、「ああこの人も私のことを忘れて遠くへいってしまうんだなあ」と思うと、まあ、寂しさに慣れることはありません。
課題
下句の破調も狙ったもので気に入っていますが、「幼子に餃子教えた」がもうちょっとなんとかならなかったのかなと。
3.ウーパールーパー
「お客さん運休ですよ今夜からウーパールーパーの大航海で」
情景
なぜだろう、ウーパールーパーを夜空いっぱいに飛ばして夜間飛行させたかったんです。で今夜のフライトは臨時運休だよお客さん、と。他の方の歌いくつかに引っ張られたかもしれません。
課題
ウーパールーパーですばらしい歌が詠めたら、楽しめたら、頭の柔らかに自信をもっていいと思います。ワシは頭がカタい。
4.マッチ★
ドラエもんどこかとおくへつれてってマッチと明菜が暮らす世界へ
情景
現実逃避の歌です。現実のこの世界にはドラえもんはいないし、マッチと明菜は破局してお互いの道を歩んだままだし、マッチと明菜の金屏風記者会見を知っているこの私はもはやドラえもんに頼るにはいささかいい年齢になってしまっている。
課題
下句の「暮らす」を「笑う」とか別の単語にするか、もうちょっと幸せを表す単語がないか迷いました。
ドラえもんオマージュなら「どこかとおくへいきたいな」が正しいんですよね。しかし「つれてって」のほうが逼迫している感じが出るかなと。
でもおおむね完璧だと思っています(白目)。
5.葉
葉がくれて夕日の朱に染まるころ ただしい決断のすえのわたくし
情景
「葉がくれ」「葉隠」にかけた言葉あそびのつもりでした。
「葉隠」をwiki ったところ*1 、「常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた」と書いていました。選択の積み重ねでその人の人生があります。正しい決断、その中には「望む決断」ではないこともあったけど、それをくりかえして今ここに立っているのだ、と信じたい。
課題
やっぱ表層だけなぞったフィーチャリングはなんちゃって感が強い。
6.月
をりとりてすすき揺れたる長月のをんなの髪を夜にとかして
情景
これもことばあそびのひとつです。飯田蛇笏+与謝野晶子です。
すすきと女の髪、月、夜できれいな情景歌えないかなと。
飯田蛇笏は「をりとりてはらりとおもきすすきかな」という俳句が教科書に載っています。この句のすごいとこは、平仮名自体の並びも象形としてすすきとその美しさを表しているとこだよな〜。
課題
つぎはぎあわせてきれいな情景をつくることはできるんだろうけど、でもそれだけで骨がないんだよな。
7.転
転んでも泣いてもいいの おさな子の仁王の顔に我を重ねる
情景
どういうわけだか転んでも泣くのを必死に我慢している子どもがいて、たぶん誰かから「男だったら多少のことで泣くんじゃない!」と言われたからだと思うんですけど、でも別に痛かったら泣けばいいじゃんと思うんですよね。必要な信号を過度におさえると大人になってから大変じゃないかなーと経験から思います。
実際はこんな優しい感じではなく、ものすごい顔で痛みと泣きたい気持ちをこらえてた子どもの形相をみて笑ってしまいました。
課題
「仁王」という単語は「夢十夜」から残ってる記憶の残滓。
これら10首を詠んでから「作歌のヒント」を読んだので、ああじぶんめちゃくちゃ説明してるなあーと思います。
8.舌★
蜻蛉ゆく風を感じるためだけにひらかれている狛犬の舌
情景
写真そのまんまの情景です。
蜻蛉の動と狛犬の静の時間の流れがよかった。
課題
「ゆく」をいくつか迷いました。「とぶ」か「のる」とか。
9.飽き
飽きたならどこへなりとてゆけばよし 憂いて顔だす新月のごと
情景
チャイさんの影響から都々逸っぽい雰囲気の歌を詠みたくなりました。「どうせそわそわしてまた戻ってくるんでしょ?」という感じ。
課題
「飽き」が「飽」だと「飽いて」「飽く」とかもうちょっとやりようもあったんですが、広げられなくて断念。もっとまじめに取り組めばよかった。
10.【枕詞】うつせみの
うつせみの人とぞきみは恋ひたまふ なまみの我をも知らぬまなこで
情景
古文遣いは適当なので間違ってると思うんですよ。
一時ネット上で「生身の人間かbotか」みたいな話があがってたと思うんですが、情報の海から生まれた意識生命体でない証明はとか、そのアカウント用に設定した「擬似人格」であるとか、「現実に存在する向こう側」の定義が揺らいできている気がします。これ情景かよ。
課題
古文むつかしい。誰だよ枕詞とか入れだしたの。
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