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近況:ぼくのりりっくのぼうよみ活動終了、35日法要

ぼくのりりっくのぼうよみ活動終了


ぼくのりりっくのぼうよみ - 「朝焼けと熱帯魚」ミュージックビデオ


朝焼けと熱帯魚をきいてストレートに「この人才能がすげえ」と思って間もなくの活動終了宣言。
宣言以降いそいで既出のアルバムを聴いているけれども飽きない。
惜しいけれども終了の理由が、
「僕は自由になりたいです。文学的だとか天才だとか哲学的な歌詞が素敵だみたいなことを言っていただいて、できあがった他の人たちの中にある偶像に支配されちゃう。それにすごく耐えられない」
ぼくのりりっくのぼうよみ、活動終了「“天才”をやめようかなと」 | マイナビニュース

ということで、これは納得しかないのでしょうがない。
この「つくったものを知ってほしい」という欲求と、自分そして創造物の劣化エイリアスみたいなのが生じ続けるジレンマとの戦いには、前者の感覚が純粋であるほど(かつ、さらに後者に大人の商業的意図が付随するようになるほど)耐えられないのではないではないでしょうか。
別名義別媒体でいつかどこかでひっそり復活してくれればいいなと思う。きっと見つけるよ。

「sub/objective」

ぼくのりりっくのぼうよみ - 「sub/objective」ミュージックビデオ

アルバムはNoah's Arkが好き

聴く






母の35日法要が終了

先月母が急逝して、あっという間の35日を終えた。
私が仙台出張から帰ってきたその日の夜に湯船に浮かんでいたとのことだった。
仕事も時期的に休めなかったので、火葬から2週間は文字通り心とからだがバラバラなまま機械のように働いていた。いや、職場は「休んでもええんやで」と言ってくれたんだけど、きっと家で独りだったらそこに座り込んで二度と立ち上がることはできなかっただろう。
こころとからだを切り離さなければやっていけなかった。

この1ヶ月間に書き留めておきたい感情は溢れるように湧き出たけれどもどれもとどまらず、かたちを整えて文にする気力もわかなかった。どれも今まで私が体験したことのないものだったけれども、時間が過ぎてしまえばどれも色褪せてしまい、反芻してもただの石ころにしか思えなかった。

ただひとつ思い出せるのは青空だ。
葬儀が終わって葬儀場から出たその日の空が、雲ひとつないまさしく「秋晴れ」の青だった。
私と弟で文字通り、取り残された子供のようにしばらく見上げた。
骨になっても遺影になっても彼女のことを思い出しても、彼女が死んだという実感も悲しみもわかなかったのに、葬儀場から出て抜ける青を見たとたん、涙が溢れて止まらなかった。
きっとこれから先私は、青空を見てあたまより先に心で泣くことになるのだろう。

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