nerumae

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【短編小説】鶏侍

短編小説の集い「のべらっくす」さんにひさしぶりに参加しようと思ったら、〆切に間に合いませんでしたー・・・。
お題は「鳥」。

http://goo.gl/oBFFwJgoo.gl



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「鶏侍」(3378字)


http://www.flickr.com/photos/67782614@N00/3328193230
photo by Max xx


「大丈夫ですか、松田先輩」

 聞き覚えのある声に、重いまぶたをどうにかこじあける。
おぼろげな視界には見慣れたグレイのスーツの背中が、俺をかばうようにしてひろがっていた。

「その声は・・・鶏野か?」

 ようやく朦朧とした意識が戻ってくる。薄暗い。埃。
頬と手のひらに当たる地面が冷たく、ざらつく。コンクリートか。
腹ばいの格好から上体を起こそうとすると、後頭部に激痛が走り、俺の体はふたたびコンクリへと倒れこんだ。全身が痛い。あちこち折れている。

 ああ、そうか。
下っ端ヤクザの麻薬取引現場を現行犯でおさえようと廃工場へ潜入した俺は、まぬけにも奴らの手下に見つかったようだ。
意識がはっきりしていくにつれ、気を失う直前の映像がよみがえる。血走った目の男が鉄パイプを振り下ろしていた。

「くそ。あのヤク中、殺す気なら最後までやれよな」俺は口の中に溜まった血を吐いた。
「先輩、動かないでください。出血がひどいです」

 もう一度ゆっくりと部下の声のするほうへ顔をあげる。
と、そこで、異様な光景が広がっていることに気がついた。

 部下の鶏野は、俺を背に銃を構えていた。その銃口の数十メートル先には、下手くそな構えで銃をもつ男の姿。改造銃か。さっき俺の頭を鉄パイプでフルスイングしたジャンキーだ。そいつが目をひんむき、手にもつ銃をガチャガチャと震わせている。俺は後頭部の痛みをこらえて、おびえるジャンキーの視線の先、鶏野の頭部のほうへと顎をあげた。

 鶏野の首から上が、鶏だったのだ。

「鶏野、お前、その頭はいったい」


 おそらく今、ジャンキーと同じ目つきをしている俺に、鶏はぐるりと首を向けた。
鶏野の着る糊の効いたシャツの襟に、首まわりのまっしろな羽毛がふわりとのっかっている。その上には円錐状にしなやかに伸びた首。頭頂部には、赤黒い血の色をしたとさかが震え、そのとさかと嘴が作る鋭角の中間線上に、ガラス玉のような表情のない目が二つ、こちらをとらえていた。

「松田先輩、ようやくお助けできます。ぼくこそは貴方様が週三ペースで美味い美味いと食ってくださった『焼き鳥山ちゃん』の『先付け鳥串セット』のうちの一本、鶏侍でございます」

「にわとりざむらい?」
「正確にはぼんじり侍でございます」

 部位はいいんだよ部位はよ、とくらくらする俺。
鶏、いや、鶏野はなぜか満足気に首を前後にかくかくさせていた。その肩越しに、さっきまで腰を抜かしていたらしいジャンキーが銃を構えなおしたのが見えた。どうやら奴の目にも鶏野は異形に映っているらしい。

「化け物お!」

「おい鶏野、うしろ!」 

 俺は渾身の力で立ち上がり、鶏野に体当たりした。ジャンキーの雄叫びに、鶏野も思い出したようにすばやく拳銃を構えなおす。この後輩は新人ながら銃の命中率はいいのだが、ひとつだけ、たったひとつだけ、重大な、しかし刑事としては致命的な、ある欠点があった。

「パン!」
「ガチッ」

 交錯する乾いた銃声と、にぶくまぬけな金属音。
 瞬間、俺の脇腹に、焼き刺すような激しい衝撃。

「あっ」

 鶏野は手元の銃口を、豆鉄砲でも食らったように覗きこんだ。

「鶏野、お前また・・・」

 安全装置、外し忘れやがってーー。

 俺は脇腹をおさえながら膝から崩れ落ち、本日何度目かの冷たいコンクリートを味わうことになった。




「何が、鶏侍でございます、だよ。お前のせいで逆に死ぬところだったじゃねえかよ」

 ようやく腹の包帯が取れて、初めての金曜の夜。
ざわざわと浮かれたサラリーマンたちの喧騒にまじって、俺は数ヶ月ぶりの「焼き鳥山ちゃん」のカウンターに生きて座っていた。
かけつけ一杯目の生ビールを流し込む。泡の刺激が、喉、食道、胃を一気にかけ降りる。それから数秒遅れで、アルコールが胃から内蔵、心臓から血管を駆けあがって脳へと、体じゅうへ浸透していく。俺はひさかたぶりのその感覚を、目を閉じてうっとりと味わった。

「まあまあ、松田先輩。結果的に売人の組織も殲滅、先輩も一命を取り留めた。結果オーライじゃないですか」

 鶏野はまったく気にしていない様子で俺の空いたジョッキを取り、あ、マスター、生もう一杯で、とカウンターの向こうに差し出した。とさかを震わせて。

 幸か不幸か、ジャンキーの撃った弾は急所をきれいにそれて俺の脇腹を貫通した。鶏野は俺を救出しに廃工場へ入る前、捜査本部に連絡していた。あのあとすぐ応援が駆けつけ、売人一派はあっけなく現行犯逮捕。あっという間に幕は引いたのだった。

 搬送先の病院で意識を取り戻した俺は思った。鶏野のあの頭は殴られた痛みが見せた幻覚なのだ、と。きっと、死ぬ前に『焼き鳥山ちゃん』で一杯やりたい、なんて考えていたから。
だから、集中治療室から一般病棟に移され、真っ先に見舞いに訪れた鶏野がカクカクと入り口から首を出したときは心底うんざりした。どうやら今後ずっと俺の目には、鶏野は鶏として映るらしい。
 
「先輩のやられたぶん、ぼくがちゃんとジャンキーに一発お見舞いしときましたからね。もちろん急所は外して」鶏野が指で銃のかたちをつくる。

「だから、安全装置外したか確認しろってなんべん言わせるんだよ。俺が撃たれたあとじゃ遅いだろ。お前本当にそのトリアタマだけは治らないな」

「いやあぼく、ニワトリっすからねえ」

 正確にいうとブロイラーっすからねえ、とからから笑いながら鶏野はハイボールを煽り、山ちゃん名物のぼんじり串に食いついた。
それって共食いじゃ、と思いつつ、俺もぼんじり串にかじりついた。弾力のある肉質が歯を押し返し、次いで、炭火に焦げた皮の香ばしさと脂が口いっぱいに溢れる。目を閉じてゆっくりと噛みしめる。

「本当に美味そうに食べますね、先輩」鶏野は心底感心するような声をあげた。

「うるせえ。だいたい、なんでぼんじりの妖精?侍?なんだ。たしかに好きだが、俺は『山ちゃん』の焼き鳥を食うことはあっても、命を救ってもらうほど恩を売った覚えはないぞ」

「ぼくも仕組みはよくわかりません」

わかりませんけど、と鶏野は俺の顔を射るようにまっすぐに見た。

「きっとぼくが、というかこの焼き鳥居酒屋がが、先輩の執着なんでしょうね」

「執着?」

「執着です。先輩が生きていくための」

 執着といわれれば、たしかにそうかもしれない。
 刑事を十数年もやっていると、たまに見失うときがある。
三百六十五日休みなく向き合う、幻覚よりもひどい事件。これがこの世界の現実なのか。
自分が守りたいと思っていた正義と慈しみの世界こそが、ひょっとしたら自分の幻覚だったのではないか。
それでも、その世界が自分の手で実感できていたときは、まだがむしゃらに気張っていられた。
ふと脳裏に、玄関のドアを静かに閉めて出ていく妻と息子の最後の姿がよぎった。
追いかけることもしなかった。

 「たしかにそうかもしれない」こんどは口に出してそうひとりごち、俺は二人の影を流すように二杯目のビールジョッキをあおった。横顔にまっすぐガラス玉の視線が突き刺さる。
空のジョッキをカウンターに置いて、しばらく目を閉じた。店の客たちの笑い声、テレビの音、グラスのこすれ合う音。それら日常の喧騒が、きょうは耳に心地よく染みこんできた。


「ぼくはトリアタマなのでよくわかりませんが」鶏野がゆっくりと口をひらいた。

「いいんじゃないですか、しがみつきたいものが炭火焼鳥と生ビールなら、当面それらのために生きてけば。別に大義や、遠くて難しい未来や、過去がみえなくなっても」

「ここで、ぼんじり串を噛みしめる瞬間のために生きてけばいいんじゃないですか」

 鶏野は嘴でハイボールをすすりながらいった。彼の目線はもう、カウンターの向こうの焼き鳥串へうっとりと向けられていた。
俺も、炭火コンロの上で脂を躍らせるそれらを、うっとりと見つめていった。
「たしかに、そうかもしれない」


 俺はふと思い出した。
「ところで鶏野、お前最初のときに『自分は先付鳥串セットのうちの一本だ』と言っていたな。お前ら『鶏侍』って、ひょっとして他にもいたはずだったのか?そいつらは来なかったのか」

「ああ、さすが先輩」よく覚えてましたね、といって、バツが悪そうに鶏野は頭を掻いた。

「それが、他の奴ら、気づいたら番だ餌だってどっかいなくなっちゃってて。
みんな俺に輪をかけたトリアタマだったみたいです」


(おわり)

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