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異物側からの世界「コンビニ人間」村田沙耶香

おもしろかった。「普通」って難しいね。

以下感想。引用とラストほんの少しのネタバレあり。

あらすじ

古倉恵子、36歳、「コンビニ店員」としては18歳。
少し世界との折り合いがうまくいかない「わたし」は大学時代からのコンビニエンスストアでアルバイトを続けている。
コンビニの一部としてうまく機能している自分に満足していたわたしの前にある日、白羽という男がバイトで入ってくる。
「世界に僕の人生をこれ以上強姦されたくない」と主張する白羽と、「結婚」や「彼氏」を世界から詮索されるわたし。
少しずつ「わたし」の世界が変化していく。

キーワード

「どうすれば『治る』のかしらね」

でも白羽さん、ついさっきまで迎合しようとしてたじゃないですか。やっぱりいざとなると難しいですか?そうですよね、真っ向から世界と戦い、自由を獲得するために一生を捧げるほうが、多分苦しみに対して誠実なのだと思います」

「じゃあ、私は店員をやめれば治るの?やっていたほうが治るの?白羽さんを家から追い出したほうが治るの?置いておいたほうが治ってるの?ねえ、指示をくれればわたしはどうだっていいんだよ。ちゃんと的確に教えてよ」

そうか。叱るのは「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も問題は起きていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいるほうが、妹はずっと嬉しいのだ。そのほうが妹にとって理解可能な、正常な世界なのだ。

少しだけ世界の感じ方が異なる人からみた世界。おそらくこれはグラデーションの問題で、だから私も少なからず恵子の生きづらさは共感できる。世界とのズレは感じながらも世界を観察して擬態できるほどには聡明で客観性をもち、家族や周り、そして自分の平穏を願うくらいには善良。「自分は世界から弾かれたとしてもこれをやりたいんだ」という強固な意思も傑出した能力もなく平凡。そしてそんな人が大半なんだと思う。

とくにささったのが恵子の「指示をくれればわたしはどうだっていいんだよ。ちゃんと的確に教えてよ」の台詞。私も心の中で何度か叫んだことがある。思うにこれは「治そうとする側」「あちら側とこちら側の壁を設けようとする側」のルールを従順に守ろうとするからこんなに苦しいんだろう。今思えばそれはブラック企業の「お前はダメだ、何がダメかは自分で考えろ」の洗脳方法と同じやり方じゃんね。

だからラストのあの宣言は、シニカルな場面だけど、救いがあって潔くて美しかった。恵子は困っているコンビニの「声」を聞くことで自分の天命を理解する。恵子はコンビニ人間、もといコンビニ店員として生きることを宣言する。それはコンビニとの結婚の誓いのようでもある。「指示をくれればわたしはどうだっていいんだよ」といっていた恵子が、自分で選びとった世界との結婚だ。
恵子のたんたんとしたキャラクターに癒やされた一作。幸あれ。

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