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【創作】ごはんの時間−第4回短編小説の集い

http://novelcluster.hatenablog.jp/entry/2015/01/20/000000
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参加します!

今回のお題:「お菓子」
タイトル:「ごはんの時間」
文字数:4966字

※内容に婉曲的なニッチモサッチモおよびデンジャラス表現が含まれます。
苦手なかたはお避けください。
※どうぞ長短忌憚なくご感想ください。次にいかします。
ーーーーーーーーーー

「ごはんの時間」

http://www.flickr.com/photos/73117834@N00/5425101938
photo by Yohei Sekiguchi



カスミはお菓子しか食べられない。

彼女がキャンディバーを口に含むとき、首をほんの少しだけ傾ける癖がある。カスミの絹のように黒くて長い髪がブレザーの肩から流れ落ち、その隙間から陽の光が彼女の瑕疵ひとつない頬を優しく撫でるのを見て、こう切望しない者はいないだろう。
ーー彼女を自分のものにしたい。または彼女の足元にかしずきたい。
少なくともぽるかはそう思っている。

カバンの中から肩紐にバイブレーションが伝わる。瞬間、ぽるかの中心に甘い痛みがよみがえる。ジッパーを引き白いiPhoneを取り出す。メール差出人:Castor

ぽるかはカスミを信仰している。ぽるかはカスミを畏れている。
絡みあう2つの感情はさらに熱を帯びてぽるかの中に充満し、夢遊病のように指示された駅へと足を運ばせる。


シャワー室から出てきた男は腰にタオルを巻きつけたまま、ベッドで下着を履き直すカスミを見下ろして、万札数枚を彼女の前に差し出す。
「とっても、良かったよ」
「ありがとう」
カスミは天使のように微笑み、男の手から札を受け取る。身体を伸ばしてベッドサイドに置いたカバンを取り、中から財布を取り出して丁寧に札をしまう。

ラブホテルの部屋はどうしてどこも画一的なんだろう。キングベッド、言い訳程度のソファとテーブル。暑くもなく寒くもない一定の温度に保たれたこの部屋はまるで、雪の降る外の世界から置いてきぼりにされてしまった夢のようだ。悪夢ならいいのに、ぽるかは思った。

男はカスミの反応が物足りなかったのか、もう一度感想をいってからこう続けた。

「安いくらいだよ。本当にそのーー見られてると興奮するもんだね」

そういうと男の視線はベッドの上に座るカスミから、そのさらに向こう側のソファに深く腰掛けてうずくまっているぽるかに移った。ぽるかはハッとして髪で顔を隠し、きゅうと腿を閉じる。太腿の間によった制服のプリーツが皺をつくる。

「だからいったでしょ。みんなそういうの」

カスミはゆっくりと男に背をむけ、ぽるかのほうへ振り返る。男はつとめて紳士然としてふるまいながらカスミに言った。

「気に入っちゃったよ。倍払うからさ、今度はぽるかちゃん?もいっしょにどうかな」

ああ。
言ってしまった。ぽるかは耳をふさいで身体をくの字に折り曲げた。
カスミはぽるかを見つめ、男にこう答えた。顔にはおそらくさきほど男が期待した最上級の笑みが貼り付いていた。

「ええ、いいわよ。なんだったら今からでも」



「カスミちゃん、いつもこんなもの持ち歩いているの?」

男はうわずった声でたずねる。台詞は疑問形だが、その意味が質問でないことはぽるかにでもわかる。その証拠に、ふたたび全裸にされ後ろ手に手錠をかけられているにもかかわらず、男の中心はこれからもたらされる歓喜に対しすでに首をもたげていた。

ーーゲームをしましょう。ぽるかは初めてなの、彼女を気持ちよくさせてくれたら、さっきのお金は全部返すわ。

そう言われて今まで引き返した男たちはいなかった。

「ごめんね、ぽるかが怖がるといけないから」カスミはそういって、「それに」と男の目に黒いスカーフを巻きつけた。

「こういうの、ドキドキするでしょう?」

カスミに耳元でそう囁かれると、男はただこくこくと頷くことしかできなかった。

カスミはすっかり抵抗ができなくなった男を優しくベッドに横向けに寝かせた。そして「仕上げよ」とカバンから球状のものを取り出し、男の唇にひたりとその表面を押しあてた。すでにカスミの下で一度快感を味わった男は、彼女のくれるものはなんでも受け入れる素地ができあがっていた。

「いい子ね。そう、やさしく咥えて。てめえのをしゃぶるみたいにな」

男を見下ろしてカスミはそういい、無駄な肉のないきゃしゃな脚を高くかかげるとローファーのかかとを男の頬めがけて全力で振り下ろした。男の頬の中で60Wの裸電球がばりんとくぐもった破裂音をたて、次いで開いた彼の口からは、ここは屠殺場だと気づいた豚のような悲鳴があがった。ベッドから転がりおち悶絶し続ける男をあとに、カスミはぽるかの腕を取りホテルの部屋を駆け出した。



この時期の夕方も17時を過ぎると、コートに冬の匂いをまとわせた学生たちがどかどかとマックの自動ドアを押し広げ入ってくる。喧騒の中、その群れにまじってカスミとぽるかが向き合って座っていた。
カスミはストロベリー・シェイクを飲みながら黒いiPhoneの画面をぽるかに突きつけた。

「見てみて、ぽるか。わたしたちのこと、もうスレ立ってる。北区の双子だってさ」

「スレ?」

「2ちゃんの掲示板だよ。うわ、ぽるかとカスミって名前ももう出てる。次からゲームの場所を拡げないとね。名前も変えなきゃ。カスミとぽるかはもう使えない。次は何にしようか、ぐりとぐら、せりとなずな、小梅と小竹…」

ぽるかはカスミの嬉々とした声に苛立ち、遮るようにいった。

「ねえカスミ、もうやめようって。こんなゲーム面白くない、警察に捕まっちゃうよ。来年の今頃はもうあたしたち受験なんだよ」

カスミはストローをくわえてシェイクの容器から引っこ抜き、タクトのようにぽるかの目の前で振った。そして先ほどと同様の笑顔をたたえていった。「捕まらないわよ」

「ばかねぽるかちゃん、捕まらないようにやってんのよ。本当にわたしの好みが妻子持ちのリーマンだとでも思ってるの?いったいどこの馬鹿がはした金プラス口腔科の治療費と自分と家族の一生とを、天秤にかけるっていうのよ」

ぽるかがテーブルに両肘をついて頭をかかえると、カスミはくわえたストローをぷっとぽるかのローファーの側に吹き捨てた。

「見て、あんたの斜め後ろ。ストロー拾うふりして」

ぽるかが言われた通りにテーブルの下へ身をかがめてストローを拾い、低い姿勢のまま斜め後ろへちらりと顔をやった。そこには2人よりひとまわり離れているだろう、それぞれ子連れの主婦が2組座っていた。

その狭い席にセットメニューを拡げて、2人は向き合っていた。どちらも髪を薄茶に染め、パステルカラーのゆったりしたチュニックにジーンズのという服装だった。遠くて会話の内容は聞こえなかったが、彼女たちは自分がしゃべり終えるとハンバーガーにかぶりつき、フライドポテトを咥えて脂のついた指先をねぶった。そして時折きゃあはははと嬌声をあげ両手を叩いては上体をのけぞらせた。

テーブルの周りでは1人の女の子がセットについてきたおもちゃのミニカーを床に走らせていた。もう1人の男の子は飽きてしまったのか親のテーブルから離れ、近くの学生たちが座るテーブルを覗き見していた。

それに気づいた彼女たちのうち一人がこらっダメでしょ、と大きな声をあげ男の子にかけより抱え上げた。そして彼を自分の隣の椅子に着地させ、何も起きなかったかのように向かいの女性との談笑に戻っていった。

「あの人たちはね、ごはんを食べてるの」

カスミは抑揚のない声でいった。その目には動物園の爬虫類コーナーにいるガラス越しの蛇でも眺めるように何の感慨も宿っていなかった。

「毎日毎日みんなと同じごはんを食べて、ぶよぶよと肥って、そしてごはんを作って旦那の帰りを待つの。その旦那は外で女子高生を買っているなんて疑いもせずに」

「わたしはそんなの嫌」

そう吐き捨てると、どう答えていいかわからないぽるかに視線も向けず、カスミは席を立ち、まだ半分中身が残っているシェイクをダストボックスにがこんと投げつけた。


あたしは一体どうなってしまうんだろう?

ぽるかはそんなことを考えながら狭い玄関で靴を脱ぎ、リビングを素通りしてまっすぐ2階へと階段をあがっていった。
リビングからぽるかの母親が顔だけを出し、おかえり、遅かったねごはんは、と彼女に声をかける。いらない、食べてきたとだけ答えた背中になにか大声を投げつけられたが、それもドアを閉めれば聞こえなくなった。

ダッフルコートのままベッドにどさりと身を預けた。そして天井を仰ぎもう一度くりかえした。あたしは一体どうなってしまうんだろう?

コートのポケットから白いiPhoneを取り出して目をやる。
カスミになんか話かけなければよかった。ハンバーガーなんて薦めなければよかった。何でもするからなんて言わなければよかった。


カスミが吐いたのは塾で同じ教室になって1ヶ月後、2人でマックに寄るようになって1週間後。嫌がるカスミの鼻先に「お菓子ばっかだと身体に悪いって、ほら」と無邪気にぽるかがハンバーガーをつきつけたのだ。カスミは観念したように目を閉じて唇を開き、ハンバーガーの先端にかじりついた。3,4回咀嚼したところで、口元をおさえて転がるようにトイレへと駆け込んだ。この美しい少女にいったい何が起こっているのか、あまりに突然のことにぽるかは最初まったくわからなかった。

便器をかかえて胃液で口の中をゆすぐように何度も吐くカスミを見て、ぽるかは泣きながらしゃくりあげた。

「ごめんね、ごめんなさい、あたし、そんなにひどい病気だとは思わなくて。何でもするから」

カスミがふたたびぽるかの前に現れて、最上級の笑顔で彼女の机の上に白いiPhoneを置いたのがそれから1週間後。

「ゲームをしましょう。もちろんこないだの償いなんかじゃないのよ。嫌ならいいの」

その日から2人は名前を捨て、カスミとぽるかになった。



寝そべったまま顔を横に向ける。窓から入る隣家の灯りがかろうじて姿見の中の自分の輪郭を映し出す。
ひどく痩せた。もちろんカスミに比べたら目鼻立ちなんて貧相なものだけれど、それでも前より美しくなった。自分でもそう思う。

カスミに見つめられている間、ぽるかは食欲をまったく感じない。そのかわり別のなにかがからだを満たしている。甘ったるくて重苦しいなにか。
けれど彼女と離れたあとのこの反動といったら?自分の中がすべて空っぽであることをよりいっそう強く感じずにはいられない。

暗い部屋のなかで、かすかに肉汁の匂いがする。きっと晩ごはんはハンバーグだったんだ。お母さんのハンバーグが食べたい。白いごはんが食べたい。
ふいに鏡の中の自分にカスミの姿を思い出す。腰に甘い疼きがずくんとよみがえる。あっという間にぽるかの嗅覚はふっ飛ばされる。

カスミ、どうしてこんなことをするの。どうして男としている間、すがるようにあたしを見るの。ぽるかの指先が下腹部をなぞり、下着に到達する。ここに触れれば楽になれるの、でもどうやって?ぽるかは始め方は知っていても終わらせ方がわからない。ううん、終わりなんてないんじゃないの?ぽるかの指が下着の奥へと滑りこむ。



白いiPhoneが震える。からだ中に何かが充満する。待ち合わせ場所にキャンディバーをふくんだカスミが立っている。世界から切り離された部屋でルーティンが始まる。

ぽるかは朦朧とする頭をかかえて、ソファに深く腰かける。シャワー室から出てきた男がカスミと話し、こちらのほうへ視線をむける。
ああ。終わらせないで。
カスミが男の目を縛る。横たえた男の唇に電球を押しあてる。ふいに、誰も知らないはずの部屋のドアノブがガチャガチャと回る。

「開けてください。通報を受けてきました」

カスミが「どうして」といった目でドアを睨む。ぽるかがゆっくりと立ち上がり、カスミと男のいる赤いベッドシーツの上へ白いiPhoneを投げ捨てる。その足でドアへと向かいカチリと鍵を開ける。とたん背広を来た男たち数人が洪水のように押し寄せ、カスミと全裸の男をベッドの上に押さえつけた。
カスミは頭をおさえつけられながらぽるかに向かって叫んだ。

「いいわ、ゲームはあんたの勝ちよ、ぽるか。でももうひとつのゲームはわたしの勝ち。あんたはゲームが終わるまでにわたしを救えなかった。わたしがあんたを地上へ引きずり落としたのよ。その証拠にもうあんたは、」


ぽるかは膝から崩れるようにバランスを失った。「大丈夫か」と背広のうちの一人が支えた。彼はぽるかを抱えて先に部屋から出そうとした。ぽるかにはすべてが膜一枚隔てた遠い向こう側の出来事のように感じられた。だってカスミ、あたしごはんが食べたいの。あたしたちもう、ごはんの時間だよ。

閉ざされたドアの向こうで、だいきらいよ、あんたなんか最初から、という子どもの泣き声が響いていた。

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