表現者の一億総カラオケは増えたけど「創造」は見えなくなった、とマスターは言い
地元の喫茶店のマスターの展示展を観にいってきた。
彼はまだパティ・スミスが無名の時代に彼女のライブをアメリカで聴き、パンクがまだ「パンクロック」という音楽ジャンルのラベルを貼られる以前の曖昧模糊としたなんかだったときに「PUNK」誌でパティ・スミスのイラストコンペに応募しグランプリを取り、ハワイと契約して油彩描いたり、
まああんまり人バレするのはよくないので詳細は書かない方がいいか、
なかなかにすげー人なんだけども、なぜかこの田舎町の片隅で喫茶店のマスターをやっている。
おそらくこの町の半分ちょいは彼がそんなに世界的に優れた画家であることは知らない(私も数年前まで全然知らなかった)。
そんな地元の認知度なので、店にも当然来客はわたししかおらず、おかげで画を観ながら、マスターが体験した「パンク前夜」の話をゆっくり聴かせてもらうことができた。贅沢だ。
以下、聞いたこといくつか備忘録。
マスターは言う。
「パティ・スミスやラモーンズが出てきたときは、まだ我々の中に”パンク”なんてジャンルがなかったから、みんな『なんじゃこりゃ、なんかちがうぞ』となった」
「そっからPUNK誌でパンク・ロックが確立して、後釜が出てきて、イギリスにわたってセックス・ピストルズとかアニマルズみたいなロンドン・パンクが台頭して、でも後釜には当初の衝撃というか新しいものは感じなかった」
「それからジャマイカへ行ったら、土曜の1日4時間しか電気がこないとこに旧式のサウンド・システムを持ち込んでDJをするやつが現れて、みんな思い思いに踊って、そのテキ屋のおやじみたいなDJがCD売って、それがバカみたいに売れるんだ。
DJなんかみんなテキ屋だよ。
スクラッチ初めて見せたDJのとこには人だかりができて、ノるとかなんとかどころじゃなく『なんだこれは!!おめえ今のどうやってんだ!!』ってざわついてんだ」
「何か今までと違うものが始まるとこにいくつか立ち会ったけど、いつも反応はそんな感じだった」
「日本には詳しいやつはいっぱいいる。みんなよく調べてる。下手したら本人よりよく知ってるやつだっている。みんなそれを本だったり雑誌だったりに書いて情報を流す。でも『創造』はしてない。」
「ライブハウスだってそう。ライブハウスのお客さんは演奏者自身。観客はみんな演奏者なんだよ。
日本のライブハウスはそれで成り立ってる。」
「だれでもブログを書く。だれでも写真をとる。だれでも演奏できるし歌を歌える。でもどれも学園祭の模擬店みたいに見える。
『表現』は多くなったけど、本当にいいもの、本当に『創造』しようとしてるものは埋もれていってんじゃないかと思う」
なんだか聞いていて耳が痛くなることばかりだった。
私自身ブログでやっているのはそして巷で溢れてるのは情報のロンダリングみたいなもんで何かの踏襲で、何かを本気でクリエイトしようと思ってるわけじゃなかったから。
じゃあ本格的に「創造」しない人は表現しちゃダメなのか、真似から入るオリジナリティだってあるんじゃないのか、気軽に表現できるツールが増えたことで、今まで才能に気づかなかった、気づけなかった人が「創造」側を目指す道だって増えたんじゃないのか。
心のなかで反証したけど、マスターの画をみたあとでそんなこと口に出すアホはできなかった。
マスターの画をみて私が感じたのは、マスターが言う「なんだこれは!!」だったし、カテゴライズを超えたものだったし、他の何者の真似でもない「創造」だったから。
マスターは言う。
「新聞で『街興しイベントで街に活気が戻った』とか記事に書いたり写真を載っけたりしてるけど、みんなわかってるじゃん、誰も外に人は歩いていないって。カメラは人のいるところだけを向いてシャッターを切ってるって。
こないだ県外から来たっていうカメラマンの撮ったこの街の写真を見て、最高にクールだと思った。
人っこ1人載ってない電車のシートと、雪の街に、『この街には人が歩いていない 真空管の外から中をみているようだ』って添えてあったよ。」