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ほぼねるまえに更新してます 読んだ本/聴いた音楽/マラソンみたいに続けていきたいふつうの日記

ビリー・ミリガンと23人のアカウント人格

抹茶です。

突然だけど自分で作ったネット人格にアカウントを乗っ取られたことがある。


地域情報を知りたいなーと思ってtwitterを始めたので、地元の人たちで集まるオフ会にも抵抗なく参加した。
わりと広く浅くどのクラスタとも(地元地域というリアルの延長の範囲でなら)会話ができたのでそこそこフォロー・フォロワーの関係も多くなった。
何よりIRCチャットにハマったときみたいにtwitterでのチャットが楽しかったし。

で、ちょうど他に倣ってやってた地場産業のPRもリーチしやすいようになり(地元の新聞が拾ってくれたり。地方はほんとに「SNSで街興しを!」が多いんですよ)、自分でも公私の区別を考えあぐねながらつぶやいていた頃に、ある知人の男性からこうリプが返ってきた。



「@◯◯さんはそんなこと言うべきではないですよ」



言われたのは私がだれの役にも立たない弱音かなんかをつぶやいた時だった。
地域産業のPRとか公益性の高いトピックについてつぶやくことが多くなるうちに、自分個人の愚痴やなんでもないことなんかがつぶやきにくくなった。
周りの間で私の「@◯◯」というアカウントが「明るく楽しく品行方正」な、「みんなに愛されるキャラクター」になっていったようだ。

うーんこれはやりにくいと思って「@◯◯」とは別に公式垢を作ってみたけど、ダメだった。




わりと昔から自分とは別の人格を創って演じるのは得意だった。
自分の創った人格がとっても人気者になってそこそこお金をいただいたこともある。
ネットで書く時も自分以外の人格を想定して書いたほうが何倍も速く書ける。

今はSNSがたくさんあるので、大なり小なりみんなもSNSやつきあう人に合わせて少しずつ自分のどの部分を出すかは無意識に変えていると思う。
twitterやら何やらがめんどくさいのは、「そのアカウントの人格はリアルのその人の1ピースにすぎない」というのが見えにくいことで、
私が厄介なのは、「そのピースそれぞれがすべて私という根っこに繋がっている」のだと他人に見せるのがすごく恐怖だってことだ。
だからリアルでもネットでもいつまでたっても他者のなかの私のイメージをぬり変えることができないし、
それぞれの役割に合わせてどんどんアカウントを作ってしまう*1



まあ件の私のアカウントを「明るくハッピーな愛されキャラアカウント」と思っているのは注意してきた人とほんの数人で、本当は私のネット上の人格の齟齬なんてとっくにバレた上で誰も気にもとめていないのかもしれない。言葉遣いや単語のチョイスで滲み出るものだし。



「@◯◯さんはそんなこと言うべきではないですよ」と言われたとき、じつはちょっと嬉しかったのだ。

「あ、これ、私とみんなが作っていったアカウントが、リアルの私を凌駕した瞬間だな」と思って。



**

いわゆる「PC遠隔操作事件」のニュースを見たら、片山容疑者が「ネット上の人格、犯人のとしての人格がとまらなくなった」というようなことを供述しているそうで。
解離性障害の疑いがあってもここまで犯行が計画的だと心神耗弱とか情状酌量の余地は認められないだろうけど、「自分のつくった人格がリアルの自分から乖離していく」という感覚は、分からなくもないな、と思った。





ビリー・ミリガンは24人の~から読んでいたけど、タイトルと内容は「ビリー・ミリガンと23の棺」のほうが好き。

*1:@macchauno ではリハビリも兼ねて、できるだけ等身大でtwitterをやっています。そのためとてもお下劣。

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